- プロフィール
handmeio
ハンドメイオ
- 性別男性
- 年齢61歳
- 住所兵庫県
- 入会日2016年08月13日
はじめまして、バッグのサンプル職人をしている「ハンドメイオB」といいます。
ビートルズがデビューした翌年、大阪で生まれました。
思い出すと小さい頃からケガが多かった子供でした。
交通事故から始まり、テレビのアンテナに鼻を突っ込んで血管が切れた、屋根から落ちて手首を骨折、階段から落ちて股間節脱臼骨折、鼻の骨がL字型に曲がった、なんてこともありました。
今は年を重ね穏やかにすごしています。
私が人生で具体的に「夢」をもったのが服飾デザイナーでした。
それで服飾専門学校に通い始めるのですが、洋裁などは家庭科の授業でしかしたことのない私は不器用のグランドチャンピオンでした。
いや、それ以前に授業内容が全く理解できませんでした。
毎日の授業は?マークのポイントが貯まっていきました。
ポイントが莫大に貯まったころには卒業が目前でした。
しかし何もできない、成績も最低の私は学校の就職斡旋を諦めました。
「映画館のチケット売りにでもなるか・・・」
そんなことを考えてた私の頭にいいアイデアが浮かびました。
「服飾以外のファッション関連の会社にいけばいい!」
それで探しあてたのがバッグメーカーでした。
面接ではあることないことを話し、なんとか企画室に就職が決まりました。
しかし企画室に入る前に半年間、工場でバッグの縫製を経験しないといけなかったのです。
縫製なんて出来ない私は思い切りあせりましたが、工場の責任者に正直に言いました。
「ミシン、全然できません。小学生レベルです」
「えっ!専門学校卒業してるやろ!」
責任者の人は辛抱強く、毎日の業務の中でミシンが縫えるように課題をだして教えてくれました。
どうにかこうにか縫製ができるようになった私は企画室に移動になりました。
企画室は企画はもちろんですが、主にサンプルを作るのが業務の大半でした。
「これ君のミシン」といわれミシンの前に座ると、裁断したものが置いていました。
「それ縫って」
言われましたが全くどうしていいかわからなかったので
「どうやって縫えばいいでしょうか?」
と聞きました。
「わからんかったら同じようなヤツやってる人の見て縫って」
それで周りを見渡すと同じようなモノを縫っている人がいました。
それをじっとみていると
「そんなん、縫いながら見ろ!」と怒声がとんできました。
結局、そのバッグ(簡単なトートバッグでした)を縫うのに丸1日かかってしまいました。
出来ても自分の居場所がないような感じがしたのを今でも覚えています。
それからそんな思いをしたくない一心で「巨人の星」のようにバッグに取組みました。
出来なかったことが出来るようになり、わからなかったことがだんだんとわかるようになりました。
気がつくと26年もサンプル職人としてやっています。
バッグを作るのは楽しいことです。
苦しい修行も必要ないと思っています。
ただ作りたいように作る、これが一番です。
私が得た知識や経験、技術をみなさんに伝えることでみなさんのバッグ作りの一助になれば職人冥利につきます。
よろしくお願いします。
ビートルズがデビューした翌年、大阪で生まれました。
思い出すと小さい頃からケガが多かった子供でした。
交通事故から始まり、テレビのアンテナに鼻を突っ込んで血管が切れた、屋根から落ちて手首を骨折、階段から落ちて股間節脱臼骨折、鼻の骨がL字型に曲がった、なんてこともありました。
今は年を重ね穏やかにすごしています。
私が人生で具体的に「夢」をもったのが服飾デザイナーでした。
それで服飾専門学校に通い始めるのですが、洋裁などは家庭科の授業でしかしたことのない私は不器用のグランドチャンピオンでした。
いや、それ以前に授業内容が全く理解できませんでした。
毎日の授業は?マークのポイントが貯まっていきました。
ポイントが莫大に貯まったころには卒業が目前でした。
しかし何もできない、成績も最低の私は学校の就職斡旋を諦めました。
「映画館のチケット売りにでもなるか・・・」
そんなことを考えてた私の頭にいいアイデアが浮かびました。
「服飾以外のファッション関連の会社にいけばいい!」
それで探しあてたのがバッグメーカーでした。
面接ではあることないことを話し、なんとか企画室に就職が決まりました。
しかし企画室に入る前に半年間、工場でバッグの縫製を経験しないといけなかったのです。
縫製なんて出来ない私は思い切りあせりましたが、工場の責任者に正直に言いました。
「ミシン、全然できません。小学生レベルです」
「えっ!専門学校卒業してるやろ!」
責任者の人は辛抱強く、毎日の業務の中でミシンが縫えるように課題をだして教えてくれました。
どうにかこうにか縫製ができるようになった私は企画室に移動になりました。
企画室は企画はもちろんですが、主にサンプルを作るのが業務の大半でした。
「これ君のミシン」といわれミシンの前に座ると、裁断したものが置いていました。
「それ縫って」
言われましたが全くどうしていいかわからなかったので
「どうやって縫えばいいでしょうか?」
と聞きました。
「わからんかったら同じようなヤツやってる人の見て縫って」
それで周りを見渡すと同じようなモノを縫っている人がいました。
それをじっとみていると
「そんなん、縫いながら見ろ!」と怒声がとんできました。
結局、そのバッグ(簡単なトートバッグでした)を縫うのに丸1日かかってしまいました。
出来ても自分の居場所がないような感じがしたのを今でも覚えています。
それからそんな思いをしたくない一心で「巨人の星」のようにバッグに取組みました。
出来なかったことが出来るようになり、わからなかったことがだんだんとわかるようになりました。
気がつくと26年もサンプル職人としてやっています。
バッグを作るのは楽しいことです。
苦しい修行も必要ないと思っています。
ただ作りたいように作る、これが一番です。
私が得た知識や経験、技術をみなさんに伝えることでみなさんのバッグ作りの一助になれば職人冥利につきます。
よろしくお願いします。
- 更新記事