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日本美術の特徴
日本画には西洋画とは異なる特徴があります。それは、西洋画と東洋絵画の違いであり、東洋(中国絵画)絵画の中での違いです。日本画の概念は、明治のお抱え外国人、アーネスト・フェノロサが提唱したと言われています。しかし、大航海時代には既に西洋画が日本にもたらされ、17世紀初頭に日本で制作されたらしい『泰西王侯騎馬図屏風』が会津藩主松平家に伝来しています。江戸時代の長崎、秋田の蘭画、浮世絵には、西洋画の立体表現である透視図法(遠近法)、明暗法が取り入れられています。日本画の特徴は、一義的には江戸時代以前、厳密には室町時代以前を対象として考えたい。
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サークルに参加する- 2023/08/31 16:43⚫識者の『日本画の特色』とは
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フェノロサが1882年に龍池会で行った講演「美術真説」で使った ”Japanese painting “の翻訳が「日本画」という言葉の初出である。この講演でフェノロサは次のような点を日本画の特徴として挙げ、優れたところと評価している。
1.写真のような写実を追わない。
2.陰影が無い。
3.鉤勒(こうろく、輪郭線)がある。
4.色調が濃厚でない。
5.表現が簡潔である。
「絵画とは『妙想(みょうそう)』と呼ばれる作家の理想が表現されたものであり、写実にとらわれずに自由かつ簡易に妙想を表すのに日本画の特徴は優れている」と述べ大きな影響を与えた。・・以上ウェキペディアより
⚫岡倉天心の考え
『諸藝術のうち、絵画は最も平面的観念の藝術として適す。しかるに欧洲の絵画は立体的観念より発達せるがゆえに、これに陰影を与えて物体の厚みならびに深さを顕わさんとせり。』泰東巧藝史 1910年講義
日本画の平面性は東洋一般の観念で、西洋の立体的観念と対峙する。
日本美術史(1900〜1903年 講義)で、天心は、日本美術の特徴について、『日本の美術は変化に富む』『日本の美術は適応力に富む』『日本の美術は、仏教の哲理により唯心論に傾き、写生を離れて実物以外に美の存在を認む』『日本の美術は優美である』をあげている。
写真は、『一遍聖絵 円伊 1299年』 - 2023/08/31 16:47⚫現代の一般的考え
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西洋 東洋(日本)
一点透視図法 視点の多様化
明暗法 明暗法なし
見えるものを全て描く 省略する
写真は『最後の晩餐 ダ・ヴィンチ 1495年』 - 2023/08/31 16:49写真は『洛中洛外図屏風(部分) 岩佐又兵衛 17世紀』
クリックで拡大 - 2023/09/11 13:54●日本の美術は変化に富む
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『奈良朝の理想的なる、平安朝の感情的なる、足利の自覚的なる、これその形に現われたるところより論ずれば、壮麗、優美 、高淡の三大変化を有す。 同一 種族にしてこの三者を具備するは世界その例を見ざるところ、もって大和民族が美術思想に富めるを証すべし。』と語っている。確かに、エジプト美術もギリシャ・ローマ美術も日本のような大変化は無い。島国日本は、大陸の文化を取捨選択して取り入れ、醸成し、前史を残しながら変化するという特徴を生んだ。
●日本の文化は適応力に富む
『奈良朝は漢魏六朝の影響を受けて成り、平安は唐朝の文化を取りて、これを渾化して延喜時代をなし、東山は宋元の文化を渾化して日本的となし、豊臣時代の朝鮮におけるもまたし かり。ほとんどその根元を消化し去りて、痕跡を止めず。あるいはこれをもって、わが邦人 の模倣力に高めるのいたすところとなすは誤り。』日本の文化にオリジナリティがないとは現代でもよく批判されるところだが、天心は『動植物はその消化したるものを滋養となして成長する』とし、文化も同じという。取捨選択しながら消化するということこそ日本文化のオリジナリティだと喝破した。
写真は、『雪舟 天橋立図』 - 2023/09/11 15:21⚫『東山御物』の特徴
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室町幕府3代将軍足利義満、義教、義政によって蒐集された『東山御物』は、その後の『唐物』文化のメルクマールとなった。しかし、『東山御物』は当時の明国で主流の南画”呉派文人画“ではなく、忘れられていた北画”宋元画“が選ばれて舶載された。『御物御画目録』(15世紀末)には徽宗、梁楷、馬遠、夏珪、牧谿の作品が記載されている。
写真は、伝徽宗 桃鳩図 1107年
●四明天童山第一座 雪舟
『応仁元年(1467年)に遣明船で明へ渡航。各地を廻り、約2年間本格的な水墨画に触れ、研究した。天童山景徳禅寺では「四明天童山第一座」の称号を得る。「明の画壇に見るべきものはなく、日本の詩集文や叙説を再認識した」と書かれている様に、明の時代の画家よりも夏珪や李唐等の宋・元時代の画家に興味を持ち、模写して勉強した。』雪舟は現地中国で当時主流の呉派文人画に触れるが、『明の画壇に見るべきもなし』と『宋元画』の優位、日本で発展した水墨画を再認識している。それが、天橋立図や山水長巻に繋がっている。 - 2023/09/11 16:36話は平安時代初期に遡る
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●やまと絵の発生
平安時代初期は『空海時代』。804年入唐した空海、最澄により密教がもたらされ、唐風美術が隆盛を迎える。
894年遣唐使派遣が中止され、中国は規範とされる存在から消化されるモードへ変換される。宮廷絵師は、公式な場や儀礼のため中国的主題の絵画を描いていたが、私的な場で日本的な景物や人事を主題としたやまと絵も描くようになる。
巨勢金岡(こせかなおか)は、延喜時代(901〜923)の宮廷絵師でやまと絵の祖といわれる。巨勢派から後の『土佐派』が誕生する。
写真は、神護寺山水屏風 13世紀前半
鎌倉時代の作品だが、都の郊外で隠遁生活を送る女性のもとを男性貴族が訪れる主題で、俯瞰的な広い視野で描かかれ、唐代の三景山水画の遠近とは明らかに異なるやまと絵の特徴を持っている。 - 2023/09/11 17:10●やまと絵の発生 2
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白河院、鳥羽上皇の院政時代(1086〜1221)、中国の画巻(がかん)が日本化(日本の物語)された絵巻(えまき)が流行し、四大絵巻の『源氏物語絵巻』(12世紀)完成する。
その後、後白河法皇(1127〜1192)により、四大絵巻の『伴大納言絵巻』『信貴山縁起絵巻』が制作され、『年中行事絵巻』『病草紙』『地獄草紙』『小柴垣草紙』などと共に蓮華王院(三十三間堂)に奉納される。
『伴大納言絵巻』は、宮廷絵師の常盤光長(土佐派の先祖のひとり)によって描かれた、御所応天門炎上をめぐる伴善男(とものよしお)の陰謀という大事件の物語。
『信貴山縁起絵巻』は、聖徳太子により創建されたと伝えられる奈良県生駒の信貴山朝護孫子寺の縁起物語。摩訶不思議なストーリーが、躍動感あふれる画面の中に次々と展開する。
これに『鳥獣人物戯画』を加えて四大絵巻と呼ばれる。
写真は、『源氏物語絵巻』
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