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- 2022/03/03 14:33■縄文時代
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紀元前1万4000年〜前10世紀
(黄河文明は紀元前5000年)
縄文人のゲノム解析によって、縄文人の祖先集団は縄文時代に入る前の旧石器時代末(紀元前1万6000年頃)には集団として確立していた。すなわち、縄文人の作った文化は大陸の文化の影響以前の独自な文化である。
⚫時代背景
狩猟採集生活を行っていたが、定住し集団を形成していた。三内丸山遺跡(5500〜4200年前)では大規模な集落と温暖な気候で豊かな食生活を行っていた平和な時代であったらしい。
⚫時代様式
土器や土偶、骨角器などの道具や装飾品は、力強さと神秘的な魅力があり、日本美術の源泉である。
「縄文の美」を発見したのは芸術家の岡本太郎である。「縄文土器論」1952年
それまで、考古学的研究の対象でしかなかった縄文土器を『日本が世界に誇るべき美』としてはじめて見出し、芸術であると宣言した。
写真は火焔型土器 新潟県十日町 笹山遺跡
5300〜4800年前(縄文中期) 国宝 - 2022/03/03 15:16■弥生・古墳時代
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弥生時代 紀元前1000年〜後300年
古墳時代 後300年〜700年
⚫時代背景
縄文時代晩期から大陸沿岸の「海の民」が日本列島に移住。その後も渡来人と縄文人が混血し、定型的な水田稲作を行い、金属器を使用。古墳時代は古代国家の形成期である。
⚫時代様式
弥生時代の土器は、日常生活を重視した無文の土器。銅鐸には流水文や人物、動物、建物などが表現されている。
古墳時代には古墳を神聖化するものとして埴輪が作られた。
装飾古墳には、大陸からの影響と縄文以来の土着的装飾が混在している。
写真は古墳時代(6世紀末)に群馬県太田市
脇屋遺跡出土の埴輪 男子 - 2022/03/10 11:11■奈良(白鳳・天平)時代
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645年〜794年
大化の改新(645年)から平安京遷都(794年 )
⚫時代背景
645年大化の改新により豪族中心の政治から天皇中心の政治に変化する。663年白村江の戦いで渡来人が多数来朝し、最新の大陸文化がもたらされた。710年平城京遷都までを白鳳時代。710年の平城京遷都から794年の平安京遷都までを天平時代という。唐の律令政治に倣い、公地公民制、官僚制に基づく中央集権国家を形成した。
⚫時代様式
白鳳時代に律令国家の2大官寺、大安寺と薬師寺が創建される。仏像には、唐の則天武后時代(685〜704)の様式が継承されている。唐の様式は、前時代のインドガンダーラ様式(ギリシャ、ヘレニズムの影響)から、インドの独自性が強いグプタ様式に変わった。日本にも中央アジア、中国を経由したグプタ様式が伝わった。グプタ様式は、ガンダーラ様式の理想化された表現から、より写実的で生命感あふれた造形で、喜怒哀楽の自然な顔の表情、薄い衣から透ける肉体表現などかみられる。
代表的作例は、法隆寺五重塔 塔本塑像東面、薬師寺 薬師三尊、聖観音菩薩、興福寺 八部衆像、東大寺戒壇院 四天王像など
写真は、薬師寺 薬師三尊 - 2022/03/25 15:28■平安時代前期
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794年〜894年
平安京遷都(794年)から遣唐使廃止(894年)まで
⚫時代背景
桓武天皇が寺院勢力の強い平城京から、794年に平安京に遷都し、菅原道真の建議で遣唐使を廃止するまで。奈良時代からの伝統を継承して、中唐、晩唐の文物を積極的に取り入れた。最澄、空海など入唐八家が文化の中心となる。
⚫時代様式
インドでヒンドゥー教に対抗するため、変質した仏教=密教が成立し、中唐に伝わった。本来偶像崇拝が禁じられていた仏教はヒンドゥー教の派手な神々に対抗するため異形の神々を仏教に取り入れ顕現化していく。空海が唐から請来した真言密教の曼荼羅世界を三次元化した東寺の木彫像立体曼荼羅に密教彫像の特徴がよく顕れている。
代表的作例は、両界曼荼羅 東寺、東寺立体曼荼羅、如意輪観音 観心寺、薬師如来像 神護寺、十一面観音像 六波羅蜜寺など
写真は、東寺 帝釈天騎象像 839年 - 2022/03/25 16:15■平安時代後期
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894年〜1185年
遣唐使廃止(894年)から平家の滅亡鎌倉幕府の成立まで
⚫時代背景
律令制は形骸化し、摂関政治や院政という変則的政治体制。荘園領の拡大により大貴族や院に富が集中した。
⚫時代様式
中国文化の生硬な模倣から脱却して、日本的な情緒を展開する和様化の時代。大貴族や院政による都市的で貴族的な王朝文化が隆盛。
漢文学から和歌、物語文学。仏教美術から物語や現世の生活を描くやまと絵や絵巻物が誕生した。末法思想の影響で、浄土教が広まり、極楽往生を願う阿弥陀信仰に基づく阿弥陀堂が数多く建立された。仏像は和様の「定朝様」が基本となる。阿弥陀堂の前庭となる浄土式庭園が成立した。日本の心情の形、美の規範を作った時代。
代表的作例は、阿弥陀如来像 平等院、九体阿弥陀如来像 浄瑠璃寺、源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、伴大納言絵詞、平等院鳳凰堂、浄瑠璃寺、中尊寺、平家納経など
写真は、源氏物語絵巻 12世紀前半 - 2022/04/04 18:26■鎌倉・南北朝時代
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1190年〜1390年
鎌倉幕府の成立から南北朝の合一まで
⚫時代背景
関東に武家の鎌倉幕府が成立し、京都と2極的体制となる。
⚫時代様式
南都北嶺の仏教勢力に代わって、鎌倉新仏教が誕生する。特に、唐、宋代に発展した中国禅は生死をかける武士に受け入れられ、入宋僧(栄西、道元など)や来日僧(蘭渓道隆なと)によって中国文化が流入した。鎌倉建長寺、円覚寺、京都建仁寺などで室町期に花開く、水墨画、茶道、枯山水などが生まれ、平安時代に成立した国風文化と共存していく。彫像は定朝によって完成した円派、院派に代わって、人間性、リアリズムを追求した運慶、快慶、湛慶などの慶派が生まれる。阿弥陀信仰に加えて弥勒信仰も盛んになる。
代表的作例は、運慶 無著世親立像、快慶 弥勒菩薩像、東大寺南大門 金剛力士像、伝源頼朝像、明恵上人像、山越阿弥陀像、阿弥陀二十五菩薩来迎図など
写真は、運慶 無著世親立像 - 2022/05/02 15:27■室町時代
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1338年の室町幕府成立から1573年の室町幕府滅亡までの室町時代のうち、1392年の南北朝合一から幕府滅亡まで。応仁の乱(1467〜77年)を境に前期 北山文化、後期 東山文化と称す。西洋ではイタリアルネサンスの勃興と隆盛の時期と重なる。
⚫時代背景
武家の鎌倉、公家の京都の分立から、京都にひらかれた室町幕府により、京都が再び政治、経済、文化、宗教の中心となる。
⚫時代様式
平安時代以来の貴族の古典文化と舶来の宋・元・明の文物が複合した文化が発展した。足利義満、義持、義教の室町前期は金閣寺に代表される古典(和様)と舶来(禅宗様)を組合せた斬新な美意識がある。後の東山御物となる唐物コレクション、自然をデザインする夢窓疎石の西芳寺庭園、天龍寺庭園、猿楽を大成した世阿弥、やまと絵の土佐派、京都五山では如雪・周文の日本的水墨画が生まれた。
応仁の乱後、室町後期、幕府が衰退していく中で足利義政は銀閣寺を建造、龍安寺石庭、村田珠光によるわび茶、狩野正信が幕府の御用絵師となり狩野派が始まる。京都の荒廃から地方に戦国大名が割拠し、地方で活躍する雪舟、雪村など御用絵師的職人から自己主張をもつルネサンス的芸術家も生まれた。
代表的作例は、西芳寺庭園、天龍寺庭園、金閣寺庭園、銀閣寺庭園、龍安寺石庭、如拙 瓢鯰図、雪舟 山水長巻、元信 四季花鳥図、曜変天目茶碗(稲葉天目)、牧谿 瀟湘八景図など
写真は、雪舟 慧可断臂図 - 2022/05/02 16:19■桃山時代
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⚫時代背景
戦国時代末期、織田信長が足利義昭を追放した1573年から豊臣秀吉の慶長年間1615年の約半世紀。西洋の大航海時代後半と重なる。
⚫時代様式
戦国時代から天下統一を目指した、織田信長、豊臣秀吉という権力者のもとで、権力を誇示するような、斬新、奇異、豪華、大規模な様式が生まれた。この時代の造形の筆頭は城郭建築である。現存する姫路城、松本城の壮麗さから想像すると今はない安土城や大阪城、聚楽第の壮大さは空前絶後だろう。絵画では、権力者から愛された狩野永徳、狩野派に対抗した長谷川等伯、わび茶を大成した千利休、弟子の古田織部など巨匠が活躍した。
大航海時代から、ローマ・カトリックの世界布教に伴い、南蛮(西洋)文化が流入した。
代表的作例は、姫路城、松本城、彦根城、狩野永徳 洛中洛外図屏風、長谷川等伯 松林図屏風、利休 待庵、織部 沓形茶碗など
写真は、永徳 唐獅子図屏風 - 2022/05/13 12:43■江戸時代前期
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⚫時代背景
徳川家康が江戸幕府をひらいた慶長年間から元禄時代(1688〜1704)。京都では後水尾天皇のサロンに芸術家が集まる。
⚫時代様式
江戸前期は桃山文化を引き継いでいる。建築では日光東照宮、絵画は二条城二の丸御殿障屏画に表れている。文化の中心は京都で狩野山楽、山雪の狩野派(京狩野)、土佐派の土佐光起が宮廷に復帰、岩佐又兵衛などが活躍した。この時代を象徴するのが、後水尾天皇が支持した本阿弥光悦、俵屋宗達の活躍であり後に琳派と呼ばれる、いわば王朝文化の復興である。後水尾天皇は修学院離宮(桂離宮を参考にする)を造営し、芸術家、文化人のサロンを形成し寛永文化をリードした。江戸では永徳の孫狩野探幽が活躍し、幕府の画事を独占し狩野派(江戸狩野)の地位を確立した。庶民の間には後の浮世絵に繋がる美人画の菱川師宣が登場する。
代表的作例は、日光東照宮、二条城二の丸御殿障壁画、彦根屏風、洛中洛外図屏風(舟木本)、風神雷神図屏風、妙心寺天球院障壁画、桂離宮、修学院離宮など
写真は、本阿弥光悦書、俵屋宗達絵の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」 - 2022/05/13 13:20■江戸時代中期
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⚫時代背景
江戸時代中期は5代将軍綱吉から11代家斉在位の18世紀とする。幕府の三大改革の時代で社会の変革期。京都、江戸で町人層が新たな文化の担い手として登場。
⚫時代様式
京都では俵屋宗達に私淑した尾形光琳が琳派を大成する。長崎から沈南蘋の濃密な中国画法も伝わる。町人層から円山応挙、長沢芦雪、呉春が円山・四条派を形成する。異端の系譜ともいえる曾我蕭白、伊藤若冲、白隠禅師も活躍。池大雅、与謝蕪村の南画(文人画)を大成。大阪の木村蒹葭堂の大阪画壇も誕生。江戸では菱川師宣の流れをくむ浮世絵の制作が活況。鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽などの美人画、役者絵、春画が人気をよぶ。8代将軍吉宗の時代には蘭学奨励により秋田蘭画、司馬江漢の油絵も誕生した。
代表的作例は、燕子花図屏風、松に孔雀図襖、群仙図屏風、動植綵絵、歌麿美人画、写楽役者絵など
写真は、尾形光琳「燕子花図屏風」 - 2022/05/13 13:48■江戸時代後期
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⚫時代背景
江戸時代後期は11代家斉在位中から15代慶喜の大政奉還の19世紀とする。鎖国体制から列強の脅威、大政奉還までの激動の時代。
⚫時代様式
江戸では浮世絵に風景画が新分野として登場し、葛飾北斎の「富嶽三十六景」歌川広重の「東海道五十三次」が人気となる。松平定信に仕えた谷文晁が中国画をふくむ様々な画風を吸収し活躍。弟子には渡辺崋山がいる。酒井抱一は光琳と四条派を学び江戸琳派を開いた。弟子に鈴木其一がいる。京都では円山・四条派が勢力を保っていたが、文人画では浦上玉堂、田能村竹田も活躍した。大阪では岡田米山人が出た。さらに京都ではやまと絵の古画を学んだ復古やまと絵派も生まれる。浮田いっけい、冷泉為恭らである。
代表的作例は、富嶽三十六景、東海道五十三次、夏秋草図屏風、朝顔図屏風など
写真は、鈴木其一「朝顔図屏風」メトロポリタン美術館蔵 - 2022/05/27 14:00■明治時代
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⚫時代背景
大政奉還から東京遷都(1868年)、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904〜05年)を経て大正元年(1912年)まで。
⚫時代様式
幕末の開国は江戸に西洋の文物、技術が流入し、急速な近代化をもたらした。「美術」という翻訳語が一般化し、西洋の絵画「洋画」に対して伝統的日本の絵画を「日本画」と呼ぶようになった。明治の「美術」は、岡倉天心を中心に展開する。彼は「美術は国の精華なり」というスローガンで、中央集権国家体制のもと、官立の東京美術学校(現東京芸術大学)の設立に尽力し、初代の校長になった。お雇い外国人のフェノロサと協力し、日本画を中心とする美術体制を推進した。伝統的日本画から「絵画」の概念による陰影や奥ゆきのある近代日本画の改革を進めた。岡倉はスキャンダルで美術学校を追われたあと、在野の日本美術院を設立した。横山大観、下村観山、菱田春草などが岡倉に従い日本美術院に参加した。一方、フランスの留学から戻った黒田清輝は東京美術学校に西洋画科が設立されると教授になり、日本洋画界を牽引した。
幕末に西洋諸国を熱狂させたジャポニスムは、工芸や浮世絵だけでなく、日本の装飾的美術、特に琳派が支持された。
代表的作例は、高橋由一 鮭、五姓田義松 自画像、原田直次郎 騎龍観音、青木繁 わだつみいろこの宮、黒田清輝 湖畔、横山大観 無我、菱田春草 黒き猫、河鍋暁斎 大和美人図屏風など
写真は、狩野芳崖「悲母観 - 2022/05/27 19:37■大正時代・戦前
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⚫時代背景
大正時代(1912〜26年)から日中戦争、第二次世界大戦をへた戦前(1945年)まで。
⚫時代様式
西洋のあらたな表現が次々に流入し、洋画のみならず日本画にも影響をあたえた。洋画ではセザンヌ風、フォービスム、ダダ、シュルレアリスム、日本画では後期印象派の点描、琳派風の装飾性、西洋画のリアリズムなどの表現を取り入れた。一方、藤田嗣治はパリで成功した始めての日本人画家となった。
洋画は、白樺派が称賛した後期印象派と表現主義の影響が見られる。日本画は、横山大観、菱田春草らが活動停止状態にあった日本美術院を再興し、帝展に匹敵する権威となった。ヨーロッパに留学した竹内栖鳳が中心となって京都画壇も活況を呈し、円山・四条派の様式に西洋画や琳派の様式を取り入れた。デカダンス派の存在も見逃せない。
上村松園、鏑木清方に代表される近代美人画が日本画のカテゴリーとして確立した。
国策としての、藤田嗣治、梅原龍三郎、川端龍子など戦争画が多数制作されたが、いまだ評価は定まっていない。
代表的作例は、岸田劉生 道路と土手と塀、萬鉄五郎 裸体美人、古賀春江 海、藤田嗣治 五人の裸婦、速水御舟 炎舞、竹内栖鳳 班猫、鏑木清方 築地明石町、梅原龍三郎 竹窓裸婦、川端龍子 香炉峰など
写真は、上村松園「序の舞」 - 2022/08/03 17:14■戦後・昭和後期、平成時代(1989年〜)
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⚫時代背景
第二次世界大戦(太平洋戦争)の戦後(1945年)から現代まで。1950年の朝鮮戦争特需、1960年代の高度経済成長と安保闘争、大学闘争。1970年の大阪万博。しらけ時代。1980年代90年代マンガ・アニメのオタク文化。2001年「千と千尋の神隠し」アカデミー長編アニメ映画賞。
⚫時代様式
1950年代 実験工房(1951年)瀧口修造、武満徹など 具体美術協会(1954年)吉原治良、白髪一雄など、の前衛的アート集団の活躍。
1960年代 安保闘争、大学闘争。「反芸術」篠原有司男、横尾忠則のグラフィックデザインPOPアート、手塚治虫「アトム」TV放映。
1970年代 大阪万博。「モノ派」李禹煥。しらけ時代。
1980〜90年代 多元的ポストモダン。オタク文化世界へ。
1990年代後半 現代美術家が日本美術の伝統様式を引用、再解釈
2000年代 マンガ・アニメ・ゲームがクール・ジャパンとして世界中で認知
代表的作家は、世界的評価を受けた、武満徹(音楽)、白髪一雄、草間彌生、奈良美智、村上隆、手塚治虫、宮崎駿。次いで、李禹煥、舟越桂、横尾忠則、日比野克彦、森村泰昌。日本美術の伝統様式を引用、再解釈した、会田誠、山口晃、杉本博司、鴻池朋子、松井冬子など。
写真は、草間彌生「南瓜」1994年 - 2023/01/20 13:40東京国立近代美術館の大竹伸朗展を観て、ここに、大竹伸朗を加えます!!
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