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西洋美術の見かた

2022/02/16 11:32
やまちゃん1
西洋美術は「見るものではなく読むもの」という伝統かあります。時代背景、時代様式、代表的作家を整理して、作品の理解を深めたいと思います。

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  • 2022/02/16 12:19
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    ■西洋美術の「古典古代」
     ギリシャ美術

    西洋美術の最大のキーワードは「ルネサンス」(古代の復興)。欧米の古代ギリシャへの強い憧れは、古代ローマから現在まで続いています。

    ⚫時代背景

    紀元前8世紀以降、ギリシャで発達したポリス(都市国家)は、シチリア、南イタリア、アフリカ北岸、黒海沿岸に植民市を形成した。植民市との交易でギリシャのポリスが繁栄。紀元前5世紀にはペルシャを撃破したアテネがエーゲ海を支配し最盛期を迎える。アテネのあとスパルタ、テーバイに覇者が移る。紀元前4世紀前半に古代ギリシャ人が建国したマケドニア王国によりギリシャのポリスが征服され、アレクサンドロス3世の東方大遠征でギリシャ世界(ヘレニズム)の最大版図が作られる。アレクサンドロス3世が急逝し、紀元前323年マケドニア王国が三国に分裂。紀元前148年マケドニア戦争に破れローマの属州となる。

    ⚫時代様式

    幾何学時代様式(紀元前11世紀〜)
    コンパスなどを使用した幾何学的装飾モチーフ、動物、人間などの各部位を幾何学的形態(○□◇△▽)
    に置き換え再構築して表現する。

    アルカイック期(紀元前7世紀〜)
    エジプトの影響を受けて、立像は両手を腿にあてた直立した左右対称で硬直した姿勢。口もとは笑みを浮かべたようなアルカイックスマイル。

    クラッシック時代(紀元前5世紀〜)
    立像は、方足に重心をかけた休む姿勢「コントラポスト」により身体に動きが生まれ、生命が宿る。
    ギリシャでは、完全な肉体を持つ人間を真であり善であり美であると考えたが、現実の人間をそのまま写しても到達出来ない事に気付いた。理想的な身体の比率が考案され、理想化された身体美が芸術表現の基準となった。ポリュクレイトスが理想的身体を示す理論書「カノン(規範)」を著す。
    絵画では、幾何学的遠近法、空気遠近法、明暗法などによる空間構成が生まれた。

    ヘレニズム時代(紀元前323〜31)
    アレクサンドロス3世により、ギリシャ世界は更に拡大し、交易が活発化し、市民社会も発展した。紀元前148年マケドニアがローマの属州となり、ローマがギリシャ美術の後継者になっていく。美術が市民階級まで大衆化し、クラッシックから後のバロック、マニエリスム的表現に移っていく。


    写真は「ベルヴェデーレのアポロ」紀元前330年頃ギリシャブロンズ
  • 2022/02/16 12:52
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    ■イタリアルネサンスと北方ルネサンス

    ⚫時代背景
    ・11世紀から13世紀の十字軍遠征が失敗し、カトリック教会の権威が低下。
    ・東方世界との交易でイタリアに富が蓄積。
    ・ビザンツ帝国から、ギリシャ・古代ローマの古代文化が流行。

    ●時代様式
    ・11世紀後半から「ロマネスク様式」=古代ローマ風が、山の修道院で発達。建築は重厚な石壁で窓が小さく薄暗い空間。彫刻は柱の装飾的扱い。ピサ大聖堂。全ヨーロッパに広がった初の世界様式。
    ・「ゴシック様式」=ゴート人(アルプスの北)に由来が、人が集まる街の教会で発達。建築は、光を取り込む窓(ステンドガラス)を大きくするため高くなる。彫刻は人間的、写実的表現の丸彫りに近い。ノートルダム大聖堂。 

    ・「初期ルネサンス様式」14世紀イタリアで誕生(ジョットが最初といわれる)。

    十字軍の失敗、黒死病の流行、たび重なる天災など「この世の終わり」的な時代のなか、失われた古典古代の理想美を求める「ルネサンス」(古代の復興)運動が興る。
    古典古代の理想美とは、古代ギリシャで完成した人体の理想美(理想的比率の身体)を求めることであり、絵画では3次元の自然を2次元の絵画に表現するための透視図法(線遠近法)を定められた構図で表現すること。
    それは、自然、現実から目をそらさない「人間性の回復」に他ならない。

    ・絵画は、壁、板に卵、水で顔料を溶いた絵具で描く「フレスコ」技法が中心。書き直しができない熟練を要する技法で、色彩表現にも限界があった。

    ⚫代表的作家
    ジョット(1266?〜1337)ドナテッロ(1382?〜1466)フラ・アンジェリコ(1387?〜1455 )ピエロ・フランチェスカ(1415?〜1492)ボッティチェッリ(1444?〜1510)


    写真は、ジョット「ユダの接吻」
    1305年
  • 2022/02/16 13:03
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    ■北方ルネサンス(アルス・ノヴァ)

    初期イタリアルネサンスが開花した頃、アルプスの北、ネーデルラント地方(ベルギー・オランダ)では油彩画技法の発明とともにゴシックの写実主義が頂点に達していた。
    ネーデルラントには復興すべ古代ギリシャ・ローマは無く「ルネサンス」とはよばず「アルス・ノヴァ」(ニューアート)と呼ぶべきと近年言われている。

    ●時代背景
    ネーデルラントは、ブルゴーニュ公国に属していたが、中核のフランドルは毛織物工業と交易の振興で市民階級が台頭し、豊かな経済と文化を誇っていた。

    ●時代様式
    この地方に発祥した油彩技法は彩色に優れ、自然、現実世界の再現力を飛躍的に高めた。イタリアの透視図法の発見に匹敵する。
    油彩技法は写実性に富み、細密描写にも優れている。構図は一点透視図法を知らないため均衡が取れていない。イタリアの貴族は、競ってネーデルラント絵画を買い集め、それを見たイタリアルネサンスの画家は衝撃を受け、写実性の発展に大きく寄与した。

    17世紀オランダのレンブラント、フェルメールに繋がっていると思う。

    ⚫代表的作家
    ロベルト・カンピン(1380?〜1444)ファン・エイク兄弟(?〜1441)ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1400?〜1464)ヤン・ファン・エイク(1390?〜1441)


    写真はヤン・ファン・エイク
    「アルノルフィーニ夫妻の肖像」1434年
  • 2022/02/16 13:08
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    ■盛期イタリアルネサンスと北方ルネサンス

    ⚫時代背景
    15世紀末から16世紀初頭のわずか30年たらずの間に、天才と呼ばれる芸術家たちがイタリアで活躍しました。初期ルネサンスの中心がメディチ家のフィレンツェでしたが、盛期ルネサンスは、教皇ユリウス2世のローマと東方貿易で富を蓄えたヴェネツィアです。
    一方、北方ルネサンスもネーデルラントに加えてドイツも開花します。

    ⚫時代様式

    初期ルネサンスで目指した自然、現実世界を正確に写実する事を追求しながら、作家個人の芸術的個性を作品に刻んでいる。更に、作家は天賦の才を自覚し、自己の手で、古代も自然をも凌駕する芸術世界を創造する事に目覚めた。ここに、中世以来の職人から「芸術家」が誕生し、教皇や皇帝などの権力者からも尊敬を受けるようになる。

    ●ドイツルネサンスとイタリア

    アブレヒト・デューラー(1471〜1528)は、ドイツニュルンベルクに生まれました。2度のイタリア旅行でイタリアルネサンスの理想的人体表現と合理的空間表現を学びました。

    彼は、ラファエロ・サンティ(1483〜1520)に敬意を込めて自画像を贈り、ラファエロから返礼に素描を貰うなどの交流があります。ラファエロはデュラーの版画に触発されて、自らの絵画作品を版画しました。これによって全ヨーロッパにラファエロの作品が流布し、名声を獲得しました。

    また、理想的人体表現の研究のため古代ローマのウィトルウィウスの人体比例論を研究し、「人体均衡論四書」を執筆しました。この人体比例論はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)の研究資料「ウィトルウィウス的人体」として残っています。

    デュラーは、未だゴシック様式が主流であったドイツ美術にネーデルラントの油彩技法とイタリアルネサンスの最新表現をもたらし、ドイツ美術のレベルを大きく引き上げた。

    写真はデューラー「毛皮の自画像」1500年
    キリストを模した自画像ですが、自分を神に見立てたのではなく、当時の信仰で、神を真似ぶという敬虔な信仰の表現らしい…

    ルネサンス三大巨匠
    ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロは別途
  • 2022/02/16 13:09
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    ■マニエリスム

    盛期ルネサンスとバロックの合間にある表現形態で主にイタリアにあらわれる

    ⚫時代背景

    ルネサンスの中心だったフェレンツィを支配していたメディチ家が15世紀末に追放され、16世紀初頭に復活した。16世紀の大航海時代に入りイタリアの地位は凋落の兆しをみせていた。

    ⚫時代様式

    マニエリスムは、イタリア語のマニエラ(maniera:手法・様式)に由来する。
    美術史家のヴァザーリは、マニエリスムを「自然を凌駕する行動の芸術的手法」と規定している。

    盛期ルネサンスは、古典古代の理想化した人体、自然を写す透視図法により現実世界を絵画に彫刻に表現した。

    盛期ルネサンスの三大巨匠のマニエラを最高の美として、模倣が目的となった芸術ができた。

    フランスではルネサンスを移入するためフォンテーヌブローの宮殿にイタリアの画家が集められ、フォンテーヌブロー派と呼ばれた。

    マニエリスムは、17世紀に生気がない絵画の衰退として批判されましたが、20世紀にドイツ表現主義、象徴主義の隆盛で独立した表現形態として再評価された。

    ⚫代表的画家

    ポントルモ(イ 1494〜1557)パルミジャニーノ(イ 1503〜1540)エル・グレゴ(ギ 1541〜1614)ティントレット(イ 1518〜1594)


    写真は、「ガブリエル・デストレとその妹」1594年頃 フォンテーヌブロー派

    右の女性はフランス王アンリ4世の寵妃ガブリエル・デストレで左はその妹。乳首を摘んでいるのは王の子を妊娠しており、指輪は結婚を望んでいる事を暗示。二人の後ろではメイドが赤子の服を縫っている。
  • 2022/02/16 13:14
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    ■バロック

    バロックとはポルトガル語で「歪んだ真珠」を意味する。この語は、「規範からの逸脱」として、18世紀末の古典派の評論家により揶揄的に使用された(マニエリスムと同様)が、現代では17世紀美術の様式概念となっている。

    ⚫時代背景

    ルターの宗教改革により誕生したプロテスタントは、活版印刷技術を活用した新約聖書の普及で飛躍的に信者を増やした。カトリックは文字より「絵画」「彫刻」の視覚的手段で対抗した。
    大航海時代によりイタリアの地位低下、商工業の発展と市民階級の隆盛が広がる。

    ⚫時代様式
    ルネサンスの理想化された写実主義から、ミケランジェロの動的表現、マニエリスムを経て、現実世界のリアルをそのまま描き、現実世界と絵画世界の境界を取り除こうという様式が生まれる。

    ダイナミックな動き、時に不安定な構図、明暗のコントラストを強調した劇的表現の様式。

    ⚫代表的画家

    カラヴァッジョ(イ 1571〜1610)  
    カラヴァッジョは、バロックを切り開いた天才ですが、殺人者、男色家としての逸話もあるスーパースターです!!
    彼に続く巨匠も、カラヴァッジョスキ(カラヴァッジョ派)と呼ばれるほど影響を受けています。


    ルーベンス(ネ 1577〜1640)ベラスケス(西 1599〜1660)レンブラント(オ 1606〜1669)フェルメール(オ 1632〜1675)



    写真は、カラヴァッジョ「聖マタイのお召」1602年
    ローマ フランチェージ聖堂 聖マタイの生涯を描いた3部作

    徴税人マタイのもとに納税者達が集まっている。イエス・キリストと聖パウロが、マタイを指差し、一緒に来るように促します。

    聖堂に飾られ絵には、窓から現実の光が射し、絵の光に繋がっています。現実と絵画世界を繋げる工夫。明暗のコントラストによる劇的表現。

    誰がマタイかの論争があります。光が当たっている髭の男だろうと言われています。
  • 2022/02/16 13:16
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    ■ロココ

    バロックと新古典主義の間にフランスの宮廷で生まれた芸術様式。
    特に1710年代から1760年代までをしめす。

    ⚫時代背景

    17世紀後半、フランスのルイ14世がヴェルサイユ宮殿の造営に着手し、王立絵画彫刻アカデミーを設立した。絶対王政の時代。
    続くルイ15世(1710〜1774)は、政治に関心が薄く、公妾ポンパドゥール夫人が権勢をふるい、宮廷芸術も花開いた。

    ⚫時代様式

    バロック時代の重厚な芸術様式から軽妙な感覚の優美で繊細な装飾、華やかな主題や色彩が求められた。宮廷の内装、家具に特徴的に見られる。

    東方貿易によってもたらされた中国の陶磁器などへの憧れが、ロココと合体し、シノワズリ(中国趣味)の様式も生まれた。

    ⚫代表的画家

    ヴァトー(フ 1684〜1721)

    ブーシェ(フ 1703〜1770)
    宮廷主席画家、王立絵画彫刻アカデミー会長 ルイ15世、ポンパドゥール夫人の覚え目出度い

    フラゴナール(フ 1732〜1806)
    ブーシェの弟子



    写真は、ブーシェ「ポンパドゥール夫人」1756年
    夫人は、政治的手腕にも優れ、長年敵対していたオーストリアとも和解し、後年、マリー・アントワネットがフランス王室に嫁ぐ契機をつくった…
  • 2022/02/16 13:21
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    ■新古典主義、ロマン主義、写実主義

    1789年のフランス革命でルイ16世とマリー・アントワネットが断頭台の露と消え、ロココも終焉を迎え、ナポレオンが皇帝となる。
    18世紀末から19世紀半ば。
     
    ⚫時代背景

    大航海時代からヨーロッパの覇権は、イタリア、スペイン・ポルトガル、イギリスに移り、産業革命、アメリカ独立、フランス革命と世界的パラダイムシフトが起こる。

    ⚫時代様式

    フランスの宮廷文化だったロココ様式が否定され、古代ローマの共和制にフランス革命をなぞらえ、古典古代の端正な構図と重厚な色彩の理想化された新古典主義が復興した。リーダーは、「皇帝(ナポレオン)の主席画家」と呼ばれたダヴィッド。一方、イギリスでは遅れてロココの影響を受けた「ファンシーピクチャー」、ローマに留学したターナー、ドイツではローマで活躍した「ナザレ派」、(ダヴィッドの弟子だか古典古代の理想を逸脱するアングル)が新古典主義に反旗を翻した。ドラクロワによりロマン主義が称揚された。
    いずれも、既に経済軍事的には落日を迎えていたイタリア芸術への憧れであり回帰。
    更に、ロマン主義に対抗して自然主義的で写実的なバルビゾン派、写実主義のクールベも登場。
    スペインでは、色々な要素を持ち合わせたゴヤが孤軍奮闘。

    ⚫代表的画家

    ゴヤ(西 1746〜1828)ダヴィッド(フ 1748〜1825)アングル(フ 1780〜1867)ターナー(英 1775〜1851)ドラクロワ(フ 1748〜1863)


    写真は、アングル「グランド・オダリスク」1814年

    新古典主義から離脱しエキゾチックなロマンティシズムへの転換を図る作品。長い背中や腕は古典古代の理想化された身体とは似ても似つかない表現。当然当時のサロンで酷評された。オダリスクとはハーレムに仕える女性。
  • 2022/02/16 13:24
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    11
    1月2日 16:48
    ■19世紀後半から19世紀末

    象徴主義、ラファエル前派、印象派、ポスト印象派、分離派

    ⚫時代背景

    1851年ロンドンで第一回万国博覧会開催。日本の美術工芸品が紹介されジャポニスムがヨーロッパを席巻。1859年ダーウィン「種の起源」、1867年マルクス「資本論」、1899 年フロイト「夢判断」。中世以来の宗教的世界観に基づく、伝統的価値観が揺らぐ。人間の理性・科学・進歩への信頼と「世紀末の不安」が拮抗する。

    ⚫時代様式

    歴史画を頂点とする権威主義的なアカデミーに反発する動きが現れる。新古典主義に対抗するロマン主義、写実主義、象徴主義の中から、古典的規範であったラファエロ以前の中世絵画への回帰とジャポニスムの影響による平面的で装飾的な表現、、バルビゾン派、ターナーの戸外で光を表現する風景画。
    イギリス・ラファエル前派〜アーツ・アンド・クラフト運動、フランス・印象派、ポスト印象派〜アールヌーヴォー、ドイツ、オーストリア・分離派〜ユーゲントシュティール。

    ⚫代表的画家

    ミレイ(英 1829〜1896)、ロセッティ(英 1828〜1882)、マネ(フ 1832〜1883)、ドガ(フ 1834〜1917)、モネ(フ 1840〜1926)、セザンヌ(フ 1839〜1906)、ゴッホ(オ 1853〜1890)、ゴーガン(フ 1848〜1903)、クリムト(墺 1862〜1918)、ムンク(ノ 1863〜1944)


    写真は、ミレイ「オフィーリア」1852年

    オフィーリアは、シェイクスピアの「ハムレット」でハムレット王子の妃候補。ハムレットから「行け、尼寺へ」と告げられ、父親が殺害された事を知り狂気に至る。柳の枝が折れ、小川に落ちたまま起き上がろうともせず流されて溺死する。
    「死体」を描くという新奇な主題と草木の精密な描写。
    オフィーリアのモデルは、エリザベス・ジルダはミレイのアトリエで水を張ったバスタブに浮かせて描いた。ジルダはひどい風邪にかかりジルダの父は50ポンドの治療費を請求した…
    ジルダはロセッティのモデルになり後に妻となります。不健康に見える青白いジルダが時代のミューズだったようです。
  • 2022/02/16 13:28
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    ■20世紀半ば現代アートの萌芽

    1900年から1945年第二次世界大戦終結まで

    ⚫時代背景

    第二次産業革命(1865年〜1900年)により、イギリス以外の国(ドイツ、フランス、アメリカ)でも重化学工業が発展した。新帝国主義の萌芽。分明の象徴である機械を模したフォルムを特徴とする「アールデコスタイル」が起こる。

    ⚫時代様式

    ポスト印象派のゴッホ、ゴーガン、セザンヌの影響を受けて20世紀初頭のパリでフォーヴィスム、キュビスムが誕生する。ゴッホの大胆で強烈な色彩、ゴーガンやルドンの象徴主義が、自然をキャンバスに再現するという写実主義から、自己の心の内部を強烈な色彩で表現する、マティスの「フォーヴィスム(野獣派)」を生んだ。セザンヌが果実の静物画で描いた、複数の視点で描く手法は、ピカソにより「キュビスム(立体派)」となった。フォーヴィスムが色彩における絵画革命、キュビスムが形態と構成における絵画革命とよばれる。
    1924年に詩人のアンドレ・ブルトンが「シュールレアリスム宣言」を発表し、フロイトの精神分析とマルキシズムを土台にした新芸術運動を展開した。
    一方、1920年代のドイツでは客観的表現を排して、自己の内面、主観的表現を主眼とする「ドイツ表現主義」運動が起こり、カンディンスキーが抽象絵画を生み出した。

    1915年にフランスからニューヨークに渡ったマルセル・デュシャンは、1917年の「ニューヨーク・アンデパンダン展」で「噴水(泉)」を発表した。これは、市販されている男性の小用ベンキにR.Muttと署名しただけの作品です。この作品が現代アートの最初の作品と言われています。

    1925年のパリ万国装飾美術博覧会は「アール・デコ博覧会」と呼ばれるほどアール・デコが称揚され大西洋を越えたアメリカの高層ビル建築、摩天楼に結実した。


    写真は、マルセル・デュシャン(1887〜1968)「噴水(泉)」1917年 複製
    オリジナル作品は現存しない

    最近の研究で、この作品はドイツの女性ダダイスト、エルザ・フォン・フライターク=ローリングフェン(1874〜1927)の作品だったと発表。
    デュシャンは、作品の解説で「マット氏が自分の手で「噴水(泉)」を制作したかどうかは重要ではない…」と言っています。
    この出品解説を含め、現代アートのコンセプトがよく分かる逸話。
  • 2022/02/17 16:41
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    ◆ラファエロ・サンツィオ

    ウルビーノ公国の宮廷画家の子として生まれる。16歳でペルジーノ工房に入る。フィレンツェでレオナルドとミケランジェロを手本とし凌駕する事をめざした。20代から30代前半で50人規模の大工房を主催。二人の教皇に仕え、37歳で早逝。
    ヴァザーリによると、ラファエロはレオナルドとミケランジェロを超えるため「上手な工夫と秩序の感覚で物語絵を作り出す」道を選んだ。
    また、ラファエロとデューラーが交流し、お互いに影響したと記録している。
    ラファエロの絵画は版画によって全ヨーロッパに伝播し、ルーベンスもプッサンも版画からラファエロを学んだ。

    代表作は、「アテナイの学堂」「システィーナの聖母」「椅子の聖母」

    写真は、10歳の頃の自画像。将来女性にモテモテ(早死は女遊びが原因らしい)となる美貌の画家を予想させる。
  • 2022/02/17 16:42
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    ◆ミケランジェロ・ブオナローティ

    銀行業を営む一族の子供としてフィレンツェ共和国に生まれるが、父親が銀行業を失敗し、政府職員として働いていた。その後、大理石採掘場と農園を経営し、ここで彫刻に馴染んだ。13歳でドメニコ・ギルランタイオに弟子入りした。ロレンツォ・デ・メディチの庇護を受け彫刻を学ぶ。ローマで彫刻、システィーナ礼拝堂天井画を制作し、カトリックの反宗教改革の象徴的作品となった。ミケランジェロは88歳の長寿を全うした。
    「神のごとき」と呼ばれ、彫刻、絵画、建築、詩人として活躍。古典古代の人体、裸体表現を研究し、彫刻家であることに矜持をもっていたが、カンジャンテ(色彩による陰影)などの技法を使う壁画も傑作である。

    代表作は、「ピエタ像」「ダヴィデ像」「システィーナ礼拝堂天井画」

    写真は、「サン・ピエトロのピエタ」(1498〜1500年頃)
    十字架から降ろされたイエスの亡骸を腕に抱く聖母マリア。イエスを抱くマリアは大女に造られているが、違和感を感じさせない。マリアが若いのは「不滅の純潔の象徴」とミケランジェロが語っている。
  • 2022/02/17 16:43
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    ■ルネサンス三大巨匠

    15世紀末から16世紀初頭のわずか30年たらずの間に、天才と呼ばれる芸術家たちがイタリアで活躍しました。
    ヴァザーリは「芸術家列伝」で、第一部を13世紀末から14世紀初頭、第二部を15世紀、第三部をレオナルドから始めミケランジェロで頂点を極めたと著している。

    ⚫レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475〜1564)、ラファエロ・サンツィオ(1483〜1520)

    ◆レオナルド・ダ・ヴィンチ

    フィレンツェの裕福な公証人の庶子(妾の子)としてトスカーナのヴィンチ村で生まれる。その後本妻に育てられ、13歳でフィレンツェのヴェロッキオ工房に入る。チェザーレ・ボルジアの軍事技官としても活躍。晩年、フランス国王フランソワ1世に請われてパリで過ごし、67歳で逝去。「万能の天才」と呼ばれ、美術の他に、建築、医学、軍事などにも偉大な業績を残した。古典古代の人体比率を研究し理想的人体表現を描いた。スフマート(ぼかし)技法、空気遠近法を完成させた。代表作は、「モナ・リザ」「最後の晩餐」「聖アンナと聖母子」

    写真は、「聖アンナと聖母子」マリアの母聖アンナ、マリア、幼子イエス、子羊。
    子羊を掴むイエス、手を差し伸ばすマリアはアンナの膝に乗っている不思議な構図。

    フロイドはレオナルドがアンナとマリアを親密な同年代として描いており、レオナルドの「二人の母」を表しているのではと分析している。

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