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南禅寺界隈別荘群
“究極の奥座敷” 南禅寺界隈別荘群は、明治期に京都の復興を目指す、「琵琶湖疎水工事」の副産物として誕生しました。最初の計画では工場団地になる予定でした。びっくりですね。
南禅寺界隈別荘群の沿革や概要、主要な邸宅、作庭家の7代目小川治兵衛などの情報をまとめてみました。
南禅寺界隈別荘群の沿革や概要、主要な邸宅、作庭家の7代目小川治兵衛などの情報をまとめてみました。
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サークルに参加する- 2026/08/12 21:48[南禅寺界隈別荘群の沿革]
明治維新で衰退した京都の復興のため、琵琶湖・大津から京都への引水を図る、日本初の近代土木事業「琵琶湖疏水工事」1885 (明治18)―1890(明治23)に端を発する。明治政府の「上知令」で南禅寺の広大な寺領の一部が没収され、当初は疎水の水車動力を利用する工場地(団地)とする計画。水車動力から水力発電に計画が変更され、工場地の必然性が無くなり、土地が民間に払い下げられた。近江出身の実業家、塚本與三次が疎水の水利権と土地を購入し高級別荘地を開発・分譲する。疎水の水を各別荘地に引き入れることで池泉庭園の価値を高めた。塚本與三次は、別荘群のうち流響院、清流亭を邸宅としていた。
別荘群は、明治の元勲山縣有朋をはじめ、政財界の大物が購入し、7代目小川治兵衛の作庭と、数寄屋造りの贅をきわめた15の邸宅が明治から大正、昭和にわたり“究極の奥座”として誕生した。 - 2026/08/12 22:31[南禅寺界隈別荘群15邸の所有者の変遷]
1.碧雲荘――野村財閥・野村徳七 → 野村グループ
2.何有荘(かいうそう)――実業家・稲畑勝太郎 → 戦前の財界人・大宮庫吉 → オラクル社・ラリー・エリソン
3.對龍山荘(たいりゅうさんそう)――実業家・伊集院兼常 → 呉服商・市田家 → ニトリ
4.流響院――塚本與三次・織寶苑 →宗教法人・ 真如苑
5.清流亭――塚本與三次 → アパレル・大松
6.有芳園――住友友純(春翠)別邸ー住友家
7.真々庵――松下幸之助 京都別邸
→ パナソニック
8.無鄰菴(むりんあん)――山縣有朋 → 京都市
9.清風荘――住友家 → 京都大学
へ寄贈
10.智水庵――実業家・横山隆興 → 前澤友作
11.怡園(いえん)――旧細川家別邸 → オムロン
12.洛翠(らくすい)――日本郵政系施設 → 柳井正
13.八千代――実業家・上田秋成邸 → 株式会社八千代・料理旅館
14.菊水――呉服商・寺村助右衛門 → 料理旅館・菊水(三甲ゴルフ倶楽部グループ)
15.居然亭(きょぜんてい)――実業家・中井三郎兵衛 → 消滅 - 2026/08/12 22:32[南禅寺界隈別荘群15邸の地図]
クリックで拡大 - 2026/08/12 22:55[無鄰菴]
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無鄰菴は、明治27年(1894)~29(1896)年に造営された明治・大正時代の政治家山縣有朋の別荘です。
庭園と母屋・洋館・茶室の3つの建物によって構成されており、庭園は施主山縣有朋の指示に基づいて、七代目小川治兵衛により作庭された近代日本庭園の傑作。
それまでの池を海に、岩を島に見立てる象徴主義的な庭園から、里山の風景や小川そのもののような躍動的な流れをもつ自然主義的な新しい庭園観により造営されました。
南禅寺界隈別荘群の中で、数少ない通年公開の庭園の一つであり、昭和26年(1951年)に国の名勝に指定されています。
洋館の2階には、伊藤博文らと山縣有朋が日露開戦前の外交方針について話し合った「無鄰菴会議」に使われた部屋があり、当日の様子を今に伝えます。
https://share.google/eUkCdDsKq2yn6nNiB - 2026/08/12 22:57[對龍山荘]
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京都・東山の麓—、對龍山荘(たいりゅうさんそう)は明治29年(1896)に薩摩出身の実業家・伊集院兼常によって造営されたことに始まります。その後、彦根出身の呉服商・市田弥一郎が譲り受け、庭園・建物共に大規模な改修が行われましたが、庭園を手掛けたのが近代日本庭園の先駆者と称えられた植治(うえじ)こと七代目小川治兵衛でした。
約1800坪からなる広大な敷地内に池や流れ、露地、滝石組、芝生広場を設け、そして雄大な東山からの景色の連続性を有する本庭園は、明治42年(1909)の『京華林泉帖』に「風流清雅にして其構造に最も心尽くしたるを見る」と記され当時から極めて高い評価を得てきており、昭和63年(1988)には国の名勝に指定されています。また建築は当時随一といわれた大工・島田藤吉が手掛け、2024年に国の重要文化財に指定されました。
これまで非公開でしたが、現所有者である株式会社ニトリホールディングスの似鳥昭雄会長の「広く多くの方々に對龍山荘を見ていただきたい」という熱意により、2024年秋から自由見学の庭園一般公開が開始され、2025年1月15日から建物も自由見学いただける運びとなりました。
https://share.google/cRNLN1m5lp04OrVMP - 2026/08/12 23:05[智水庵]
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智水庵庭園は、明治20年代後半から政財界の要人により築かれたいわゆる「南禅寺界隈別荘群」に位置しています。以来150年近くにわたり日本の数寄者文化の中心地となってきました。
2018年に実業家の前澤友作氏が取得。約7年をかけて母屋や庭園の大規模な改修が行われました。
https://share.google/Y4PTl0VRbECMPWOjm - 2026/08/12 23:53[7代目小川治兵衛(植治)について]
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七代目小川治兵衛(1860〜1933)は、明治から昭和初期にかけて活躍した、近代日本庭園を代表する名作庭家です。屋号の「植治(うえじ)」としても知られ、琵琶湖疏水の水を引き込んだ開放的な流水庭園や、西洋風の芝生を取り入れた近代的な日本庭園のスタイルを確立しました。
特徴と功績植治流(うえじりゅう): 自然の風景を切り取ったような、開放感のある自然主義的な庭園づくり。
琵琶湖疏水の活用: 豊富な水を池やせせらぎ、滝としてダイナミックに庭に取り入れた「水と石の魔術師」。
芝生の導入: 日本庭園に初めて本格的な芝生を取り入れた。
Gemini参照
日本庭園は、平安時代の「自然に倣う」庭園。《毛越寺庭園》
室町―江戸時代の「自然をデザインする」庭園。夢窓疎石《西芳寺庭園》小堀遠州《金地院庭園》
明治維新以降の「自然に回帰する」庭園。
7代目小川治兵衛《無鄰菴》
創造性に富んだものだけが伝統となり、生き残ってゆく。
植治の登場で、日本中に植治風庭園が出現し、日本庭園の真髄と誤解され、植治風に固着する弊害も生じている。
他の芸術と同じく作庭も「創造する伝統」が無ければ衰退することになります。
その意味で、前澤友作氏と加藤造園の《智水庵》の改修は新たな挑戦かもしれない。
写真は、前澤友作氏と智水庵 - 2026/08/12 23:57[南禅寺界隈別荘群の作庭家について]
① 七代目小川治兵衛の作庭が明確
無鄰菴
何有荘
對龍山荘
清風荘
有芳園
怡園
洛翠
真々庵
流響院(七代目+八代目)
碧雲荘(七代目+八代目)
② 小川治兵衛一門だが、七代目本人ではない
清流亭 → 八代目保太郎(白楊)
③ 小川治兵衛作とされるが、資料的にやや弱い
智水庵
八千代
④ 作庭者について異説がある
菊水 → 小川治兵衛説 vs. 鈍穴流・花文説
⑤ 現存しない
居然亭
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