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仏教・仏像の知識

2024/07/31 17:25
やまちゃん1
仏教と仏像の見方のコラム。

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  • 2024/08/03 17:41
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    【原始仏教から密教へⅠ】

    仏像を知る前に仏教の成り立ちを知る。紀元前1500年頃、イラン高原から「バラモン教」を信仰するインド・アーリア人が侵入、先住民ドラヴィダ人の土着信仰を吸収し「ヒンドゥー教」に発展する。四姓制度(カースト制)、三大男性神、ブラフマー(宇宙原理・創造神・梵天)、ヴィシュヌ(維持神)、シヴァ(破壊神)を信仰。業・輪廻・解脱を特徴とし、苦行により「梵我一如」による解脱を目指す。
    紀元前500年頃インド北部釈迦族の王子としてゴータマ・シッダールタが生まれる。29歳で出家し、35歳で悟りを開き仏陀となった。仏陀は「ヒンドゥー教」を批判し、仏陀の教え「仏教」を開いた。仏教は神を否定し、偶像崇拝を禁じていたため、仏陀は「法輪」などで象徴されていたが、1世紀頃ガンダーラ(パキスタン)地方でギリシャ文化の影響を受けたガンダーラ仏が制作された。2世紀になるとインド中部で、マトゥーラ仏が制作される。4世紀になると「グブタ朝」が開かれ、ヒンドゥー教が隆盛し、仏教は衰退していく。仏教は勢力を挽回すべく、教義にヒンドゥー教の※「アルタ」「カーマ」「ダルタ」を真似、明王や天部といったヒンドゥー教の神々を取り入れた※「所作タントラ」「初期密教」を生み出した。中国に伝わり、奈良時代に「雑密」として日本に伝来。

    写真はガンダーラ仏
  • 2024/08/03 17:54
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    【原始仏教から密教へ Ⅱ】
     
    7世紀インドに「純密」=前半「行タントラ」後半「瑜伽(ゆが)タントラ」の「中期密教」が成立する。中心仏格は大日如来(毘盧遮那仏)。日本には9世紀平安時代、最澄、空海により唐から「純密」が伝えられ、「台密」=天台宗「東密」=真言宗となる。「瑜伽タントラ」の経典に「理趣経」があり「煩悩即菩提」の性愛の肯定がある。空海は「カーマ」の力を肯定しつつも僧侶には厳しい女人禁制を課した。

    ※「アルタ」「カーマ」「ダルタ」は古代インド(ヒンドゥー)の人生の3つの目的。「アルタ」=「実利」現世での名誉・富・権力の実現。「カーマ」=「性愛」単なる性的満足ではなく、美的で文化的要素を多く含み、粋人から教えを請う。「ダルマ」=「法」法律のみならず宗教的、道徳的な義務を含み、現世だけでなく来世までを考え行動する。
    ※タントラとは、ヒンドゥー教において、神妃(シヴァ神妃)になぞらえる、女性は男性よりも多量の霊的エネルギーを所有しており、男性は女性との性的かつ情緒的合一によって初めて、神的なるものの認識に達するという、女性的力動の概念「シャクティ」(性力)への信仰の教義をとく聖典群の通称。


    写真は「大日如来」平安時代11〜12世紀
  • 2024/08/03 17:58
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    【原始仏教から密教へ Ⅲ】

    仏教のヒンドゥーへのさらなる接近は、8世紀〜11世紀に「後期密教」=「無上瑜伽タントラ」=「左道密」に発展する。ヒンドゥー教シャクティ派の「性的ヨーガ」「性秘技」を手段として取り入れ、「シャクティ」による成仏を目指した。しかし、「後期密教」の勢力挽回とはならず、ヒンドゥー教との差別化が曖昧になるにつれて、「後期密教」のヒンドゥー教に対する劣勢が確定的となった。さらに、伸長するイスラム勢力による仏教弾圧で、寺院が破壊され、僧侶が殺害され、チベットへ逃れた。「後期密教」はチベット仏教=ラマ教として生き残る。日本には、「中期密教」の天台宗、真言宗が盤石で「後期密教」が根付くことは無かった。

    平安時代9世紀後半には、末法思想が流行し、浄土信仰と阿弥陀信仰が広がった。
    武士政権の鎌倉時代、室町時代に中国宋元から禅宗が伝来し隆盛を極めた。旧仏教に対抗する鎌倉新仏教の法然(浄土宗)親鸞(浄土真宗)栄西(臨済宗)道元(曹洞宗)日蓮(日蓮宗)一遍(時宗)が成立し、現代に至っている。

    写真は「愛染明王坐像」 鎌倉時代13世紀
  • 2024/08/07 22:24
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    【密教の成り立ち Ⅰ】
    アレクサンドロス大王の侵略からインド・アーリア人の統一王朝マウリア朝(前317 〜前180)が成立し、仏教による統治が行われた。クシャーナ朝を経て、グプタ朝(320〜550頃)になると、ヒンドゥー教が仏教を脅かす勢力に発展する。バラモン教にインド土着信仰を優遇させたヒンドゥー教は、人生のゴールを叶える実利的宗教として下層階級に浸透した。ゴール=三つの目的(トリヴァルガ)とは、①経済的成功=アルタ(実利)②快楽の追求=カーマ(性愛)③社会的責任を果たす=ダルマ(法)で、最後に④輪廻転生からの解脱がある(出家)。ゴールにたどり着くには、神々に祈る儀礼と呪法が重要でした。仏教は、禁欲的で邪淫を禁止し、呪法を禁じ、神々に現世利益を祈りません。発展するヒンドゥー教に脅威を感じた仏教サイドは、釈迦の教えに反し、現世利益を祈る儀礼、呪法を取り入れます。これが前期密教(2〜6世紀)、チベット仏教では所作タントラと呼び、日本では雑密(ぞうみつ)と呼ばれる。日本には奈良時代に伝来した。奈良に残る帝釈天や梵天、八部衆などはこの時代に伝来したもの。
    雑密は、山岳信仰とも結びつき、役行者(役小角)により神仏習合の修験道となる。
    写真は、修験道の本尊「蔵王権現」
  • 2024/08/07 22:25
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    【密教の成り立ち Ⅱ】
    中期密教(7世紀)は仏教の教理に基づいて体系化され、如来、菩薩に加えヒンドゥー教から明王、天部の神々が取り入れられた。両界曼荼羅は中期密教を視覚化したもの。経典は『大日経』行タントラや『金剛頂経』瑜伽タントラがある。そこには後期密教(8〜11世紀)無上瑜伽タントラ、左道密教に見られる性的表現は現れていないが、人間の欲望を肯定的にとらえる「大楽思想」の広まりが、『理趣経』瑜伽タントラなどに見られ、男女の性交さえも清らかなものと表現されている。日本には、空海、最澄によって伝来し、東密(真言宗)、台密(天台宗)となった。
    空海は、「密教は法身(真理そのもの)の大日如来が示された三密の教え(常人では理解できない教え)のことで、顕教は人間として現れた応身のお釈迦さまが説かれた教え」と言っている。
    後期密教(8〜11世紀)は性的瑜伽(ヨガ)、性秘技による男女の性交による成仏を目指しており、釈迦の説いた不邪淫とは正反対の教義になっている。歓喜天信仰や秘密灌頂など性的な儀礼が見られる。後期密教は、中国では儒教思想により否定され、日本にも根付かなかったが、チベットでは性的要素を実行するのではなく、観念的に会得するものとして広まり、チベット仏教として現代に続いている。現存の密教は、チベット仏教(前期・中期・後期)と東密、台密(前期・中期)だけである。
    写真は、歓喜天 チベットのジャンバラ(クベーラ)神(18~19世紀)
  • 2024/08/08 18:10
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    【仏像の種類】
    釈迦本人は自身が根本的信仰対象ではないと考えていたため仏像は造られていない。入滅後、1世紀末頃ガンダーラでギリシャ文化の影響を受けたガンダーラ仏が生まれた。同じ頃インドでマントゥーラ仏ができた。釈迦と菩薩が主である。大乗仏教の誕生で、釈迦如来の他に阿弥陀如来、薬師如来、弥勒菩薩などが生まれた。如来は、悟りを得た存在。菩薩は、悟りを得るために修行しながら、人々を苦しみから救う。6世紀からヒンドゥー教の神々を取り入れた明王、天部が加わった。明王は、密教の最高仏尊大日如来の命で、仏教に帰依しない衆生を帰依させる。忿怒相で悪を打ち砕く。天部は、バラモン・ヒンドゥー教の神々を仏教の守護神として迎えたもの。仏像は、如来を最高位に、菩薩、明王、天部とヒエラルキーをつくっている。高僧の彫刻も仏像に含まれる。日本では神仏習合の神像がある。
    写真は、高僧像の代表。運慶作 無着世親像
    奈良時代12〜13世紀 無着世親は4〜5世紀のインドの学僧
  • 2024/08/09 15:27
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    【空海の真言密教に密教の特徴をみる】
    真言密教の宗教儀礼は他の仏教に比べると呪術的です。炎の燃えさかる祭壇を前に、怪しげな印を結び、奇怪な呪文(真言)を唱え、願望成就を祈祷する。その教えは、生命を賛美し、欲望、特に性欲を肯定する哲学です。 

    空海は805年、唐長安の青龍寺で真言七祖の恵果和尚から胎蔵、金剛の灌頂を受け、伝法阿闍梨位となり真言の法を継ぐ真言八祖となり帰国しました。空海が制作した金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅は、金剛界に男性原理(精神・理性・方便)に基づく悟りへの道すじ、胎蔵界に子宮を表す女性原理(肉体・感情・般若)で慈悲を表します。両界曼荼羅は、大日如来が説く世界の成り立ちで、即身成仏への道であり、男女交合のメタファーともいえます。

    写真は高野山恵光寺の護摩祈祷
  • 2024/08/09 15:29
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    【欲望を肯定する密教】

    仏教に限らず世界宗教は基本的に禁欲を説く。欲望は悪の源泉であり、性的な堕落はサタンの誘惑、地獄へ落ちる道。世俗の誘惑を断ち神(仏)の世界を目指すものである。 
    密教は、欲望・煩悩が持つエネルギーを「悟り」を得るために利用する。

    密教では、欲望は本来純粋、清浄なものである。しかし、我々は欲望を自分だけが満足するだけで終わらせていまう。本来清浄であるはずの欲望をただの醜い煩悩にしてしまうのである。小さい自己満足の喜び、例えば男女の交わり。これを「小楽」という。大乗仏教の密教は、その欲望をとてつもなく大きく、自分だけの快楽「小楽」から全人類、全宇宙的規模の快楽「大楽」へ昇華せよと説く。
    全宇宙とは密教では絶対的真理の象徴「大日如来」を指す。つまり男女の合一から宇宙=大日如来との合一を目指すのである。

    密教はバラモン・ヒンドゥー教への先祖返りでもある。ヒンドゥーの人生の目的は、アルタ(実利)・カーマ(性愛)・ダルマ(社会的責任)で欲望を賛美している。バラモンのブラフマー(宇宙の根源神・梵)とアートマン(自己の本質・我)の合一による小乗的解脱「梵我一如」の哲学を昇華している。


    写真は大日如来像 平安時代12世紀
  • 2024/08/10 16:11
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    【密教に取り入れられたバラモン・ヒンドゥー教の神々】

    空海生誕1250年の今年は、空海・密教関係の展覧会が多いですね。密教は、インドでヒンドゥー教に対抗するため、ヒンドゥー教の儀礼、呪術的要素、アルタ(実利)・カーマ(性愛)を取り入れ、バラモン・ヒンドゥーの神々を、明王、天部として仏像に加えました。ヒンドゥーの神々がどのように仏像になったかを見ます。ヒンドゥー教の三大神はブラフマー(宇宙の創造)、ヴィシュヌ(維持)、シヴァ(破壊)で、それぞれの神妃も信仰の対象になっている。密教ではブラフマーは梵天、ヴィシュヌは那羅延天、シヴァは大自在天となっています。ブラフマーの妻サラスヴァティは弁財天、ヴィシュヌの妻は吉祥天で夫より馴染みがあります。ヒンドゥーの神々は仏像でどのように表されいるかを見ると仏教とヒンドゥー教の勢力争いが分かります。
    五大明王(如来の化身で反仏教を忿怒の表情で従わせる)の降三世明王は、大日如来に従わないシヴァと妻のパールヴァティを両足で踏みつけています。
    梵天、那羅延天、大自在天(摩醯首羅王)は、千手観音に従う二十八部衆として観音を守護する神々になっています。
    バラモン・ヒンドゥーの神々は仏像では踏みつけられ、如来、菩薩のボディーガードに成り下がっていますね。
    これに対して、ヒンドゥーも負けていません。ヒンドゥー教は大乗仏教を取り込み、仏教をヒンドゥー教の一派と位置づけます。釈迦は、ヴィシュヌ十変身の九番目姿で、仏教という異教を魔族に教えることでヴェーダ(聖典)から遠ざけ、魔族を惑わせるという否定的な役割で登場させるという、「いけず」な対応です。 

    写真は、降三世明王立像 東寺 平安時代839(承和6)年
  • 2024/08/17 17:21
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    【密教と天皇 Ⅰ】

    最澄と空海が唐から持ち帰った(805・806 年)最新の仏教である『密教』は、朝廷の庇護を受け平安時代から鎌倉時代に繁栄しました。宇多天皇(867〜931 )は自ら阿闍梨(密教の師)となり仁和寺住職に就き、後宇多天皇も阿闍梨(1267〜1324)となり大覚寺に住持しました。11世紀から江戸時代まで、天皇の即位式に『即位灌頂』という密教儀式が組み込まれ、朝廷と密教の関係は親密でした。 

    平安時代末期の後白河天皇(1127〜1192)は、平清盛、源頼朝の武家政権と渡り合い、出家したのち34年に渡り院政を敷きました。後白河院の特徴は熱狂的な『今様』好きと、仏道修行にあります。今様(当時の民衆歌)は『梁塵秘抄』、仏道修行は寺院、仏像の造成にあらわれています。
    院の離宮である法住寺殿に平清盛の寄進によって1165年に完成した蓮華王院(三十三間堂)は、千手観音坐像を本尊に、1001体の仏像が祀られています。ちなみに、蓮華王は千手観音の別称です。

    写真は蓮華王院、千手観音坐像 湛慶作 鎌倉時代
  • 2024/08/17 17:28
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    【密教と天皇 Ⅱ】

    法住寺殿には蓮華王院宝蔵がありました。宝蔵には、院が関わった多数の『絵巻物』が奉納されています。
    過去・現在・未来、三世の世界を物語るような蓮華王院宝蔵絵巻は日本美術史上空前絶後の『絵巻物』コレクションです。
    主な絵巻物は、「年中行事絵巻」院が常盤光長に描かせたものですが、原本は失われています。国宝「伴大納言絵巻」応天門の変における大納言伴善男の陰謀を描く。国宝「信貴山縁起絵巻」信貴山中興の祖、命蓮の霊験譚。「吉備大臣入唐絵巻」ボストン美術館蔵、吉備真備が入唐し鬼となった阿部中麻呂に助けられて難局を打開する。六道絵(輪廻転生する地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道)の一部とされる、国宝の「地獄草紙」「餓鬼草紙」「病草紙」「辟邪絵」がある。

    写真は、伴大納言絵巻と信貴山縁起絵巻
  • 2024/08/17 17:32
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    【密教と天皇 Ⅲ】

    側近の信西に「和漢の間、比類少きの暗主」と書き記された後白河院。保元の乱では兄と戦い、平治の乱では息子と戦い、多数の死傷者を生んだ。私生活では女御から遊女まで、筵を張り今様を歌い、邪淫を極めたようです。仏教の五戒を悉く破る院にとって、来世は恐怖の対象だったでしょう。
    『法華経』を奉じ、「法華一乗の教え」(誰もがみな菩薩で、将来仏となれる)という天台宗の教え、「煩悩即菩提」という密教の教えにすがり、多数作善(仏縁を結ぶため善事を行う)のため寺院を建立し、仏像を造成することに邁進しました。
    「地獄草紙」など一連の六道絵は、死の恐怖が制作の動機であり、恐怖を視覚化する事で安心を得る作用があったかもしれません。
    「比類少きの暗主」と言われた、後白河院ですが、三十三間堂、神護寺、東大寺大仏再建などの多数作善と『今様』『絵巻物』は後代に残る文化遺産です。
    院が関与した「小柴垣草紙」は、日本三大性愛絵巻の一つですが、これは次回に…

    写真は、地獄草紙と辟邪絵
  • 2024/08/18 23:42
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    泉涌寺(せんにゅうじ) 楊貴妃観音像 1230年に南宋から請来した木像。玄宗皇帝が亡き楊貴妃の面影を写させて造像したという伝承が生まれ、楊貴妃観音像と呼ばれるようになった。

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