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現代アートについて

2024/09/13 00:16
やまちゃん1
現代アートはある日突然空から降ってきたわけではありません。ギリシャ・ローマから続く西洋美術の伝統の延長線上にあります。19世紀のモダンアートの文脈から日本の現代アートにフォーカスして勉強していきます。

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  • 2024/09/13 00:53
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    現代アートに繫がる近代絵画(モダンアート)の祖は、三人いる。ドラクロワ(1798〜1863)、クールベ(1819〜1877.)、マネ(1832〜1883)のフランス人画家です。三人はそれぞれ、ロマン主義の旗手、写実主義(リアリズム)の祖、印象派の先駆といわれています。

    写真は、上から、ドラクロワ 「民衆を先導する自由の女神」1830 クールベ「オルナンの埋葬」1849―50、マネ「草の上の昼食」1863
  • 2024/09/13 14:57
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    アメリカの美術評論家クレメント・グリーンバーグ(1909〜1994)は、モダンアートの父はマネであると主張しました。マネは「絵画の絵画性」平面性や二次元性を追求した。近代絵画の起源としました。フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユ(1897〜1962)は、「マネは主題の意味作用を抹殺した」西洋絵画の伝統である主題重視をマネが破ったと書いている。現在ではマネを近代絵画の起源とする考えが主流となっている。
    写真は、マネ「オランピア」1863年
  • 2024/09/13 16:10
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    19世紀半ば詩人ボードレールは芸術史で「モデレヌ(近代)」という言葉を初めて使用。19世紀後半ランボーも「モデレヌでなければならない」と「モダン」「新しい」ことに価値観をもたらした。モネに代表される印象派は、主題からの解放、遠近法を捨てる、色彩理論から線を否定、近代都市を描くなど「モデレヌ」を実践した。
    写真は、モネ「印象・日の出」1872「サン=ラザール駅」1877
  • 2024/09/13 16:28
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    ポスト印象派といわれる、セザンヌとゴッホ。ゴッホはその強烈なタッチ、色彩でその後の20世紀ドイツ表現主義の魁になります。セザンヌは、色面構成で絵を描き、多視点での描写を導入しました。これが、ピカソのキュビスムに影響を与えます。
    写真は、セザンヌ「りんごとオレンジ」1899「サント・ヴィクトワール山」1904―06
  • 2024/09/13 16:40
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    セザンヌの多視点による描写手法に共感したピカソは「アビニョンの娘たち」1907でキュビスムを展開する。ルネサンス以来の人工的な一点透視図法が崩れる。キュビスムは瞬く間にヨーロッパ各地に伝播し、未来派やロシアアヴァンギャルドに影響をおよぼし、20世紀にたくさんの「イズム(主義)」を発生させた。

    写真は、ピカソ「アビニョンの娘たち」1907
    アフリカの原始美術の影響も見逃せない
  • 2024/09/13 18:42
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    第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期のパリで、詩人アンドレ・ブルトンによって、文学・芸術運動シュルレアリスムが誕生する。シュルレアリスムはフロイドの精神分析とマルキシズムをバックボーンに、自動記述・オートマティスム、夢や無意識を文学・美術・映画などに取り込んだ。無意識、オートマティスムの手法はアメリカのアクションペインティング、フランスのアンフェルメに影響を与えた。
    シュルレアリスムの画家は、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、イヴ・ダンギーなど。

    写真は、アンドレ・マッソン「オートマテック・ドローイング」1924 サルバドール・ダリ「目覚めの一瞬前に柘榴の周りを蜜蜂が飛びまわったことによって引き起こされた夢」1944
  • 2024/09/13 19:31
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    日本のシュルレアリスムは、1920年代末に古賀春江や東郷青児がシュルレアリスム風の絵画を描いた。戦後に活躍する美術評論家の瀧口修造(1903〜1979)は、1930年にブルトンの「超現実主義と絵画」を翻訳。1931年フランスから帰国した福沢一郎、北脇昇、靉光などがシュルレアリスム絵画を発表する。         写真は、福沢一郎「牛」1936、北脇昇「独活(うど)」1937、靉光「眼のある風景」1938
  • 2024/09/13 21:06
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    抽象表現主義は、第二次大戦後から1950年代にかけてニューヨークを中心に一大ムーブメントとなった抽象絵画の総称。美術評論家のローゼンバーグは「アクションペインティング」と呼び、グリーンバーグは「『アメリカ型』絵画」と呼んだ。「アンフェルメ」はフランス版アクションペインティングといえるし、日本の「具体」も同一の概念といえる。アクションペインティングの主な作家は、アーシル・ゴーキー、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコなど。アクションペインティングには、シュルレアリスムのオートマティスムの影響がある。

    写真は、ジャクソン・ポロック「1:ナンバー31,1950」1950、マーク・ロスコ「No.14」1960
  • 2024/09/13 22:36
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    日本の抽象表現主義は、吉原治良が創設した1954年の具体美術協会に代表される。1955年に参加した、白髪一雄(1924〜2008)は、現在世界的な人気を博している。フランスのアンフェルメルに参加した今井俊満(1928〜2002)も世界的評価を受けた画家です。

    写真は、白髪一雄「臙脂」、今井俊満「作品」1962
  • 2024/09/15 15:51
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    【デュシャンの便器】
    20世紀のアートシーンに決定的な影響を与えたマルセル・デュシャン(仏・1887〜1968)は、1917年ニューヨークのアンデパンダン展に、「R.Mutt」のサインがはいった男性小用便器「泉」を出品したが、無審査であるにもかかわらず展示を拒否された。当時の美術評論は、グリーンバーグが主張する「絵画の絵画性とは何か」「彫刻の彫刻性とは何か」をテーマとしていた。絵画や彫刻は芸術であるとの前提での探求である。いわば、“人類”の中の“人種”を探求した。しかし、デュシャンは“人類か“、“人類ではないか“=“芸術”か芸術ではないか”を提示した。キュビスムが世界の芸術を席巻していた時代に「芸術とは一体何なのか?」を問うたのである。デュシャンの試みは、第二次大戦後のアートシーンに復活する。

    写真は、デュシャン「泉」1917 オリジナルは行方不明、デュシャン「花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも(通称「大ガラス」)」1915―1923
  • 2024/09/15 16:34
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    【イズムからアートへ】
    20世紀初頭フォービズム、表現主義、キュビスム、シュルレアリスムなどの「イズム(主義)」はいずれも芸術の枠の中での運動でした。第二次大戦後のポップアート、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アートなどの新しい試みは、新しい別の「芸術(アート)」を生み出すものとして登場した。デュシャンが提示したように、「芸術のあり方」「芸術とは何なのか」を問題にしている。現代アートは、まさに戦後の「イズムからアートへ」の流れに存在する。

    写真は、マルセル・デュシャンとデュシャン「L.H.O.O.Q.」1919 モナ・リザにひげを描いた 「L.H.O.O.Q.」をフランス語で発音すると「彼女はお尻が熱い」になり「性的に興奮した女性」を意味する
  • 2024/09/15 23:19
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    【ポップアートの誕生】
    1950年代は、パリのアンフォルメル、ニューヨークのアクションペインティングに代表される抽象表現主義の時代です。抽象表現主義は、情熱を激しい筆触や強烈な色彩に作家の個性が表れている抽象的な表現主義です。具体的なモチーフを拒否し、無限の拡がりを暗示する神秘的な非日常性を感じます。
    戦後のイギリスでは、アメリカから大量生産された商品が押し寄せました。この日常的現実を芸術の世界に持ち込んだのが、ブリティッシュ・ポップアートです。抽象的で非日常的で作家性がある抽象表現主義に対して、日常的現実への復帰と大量生産大量消費社会の没個性のイメージをオブジェ化(「もの」に変える)したのがポップアートです。POPは、パンと音を出して弾けるという意味からpopularの短縮語にかけて若者の趣味的文化を表す。ロンドン生まれのリチャード・ハミルトンは「ポップアートとは、ウケがよく、一時的で、使い捨ての、低予算で、大量生産された、若者向けで、気が利いていて、セクシーで、いかさまありの、グラマラスな、金もうけ」だと定義した。ブリティッシュ・ポップアートは、アメリカに飛び火して、メディアを媒介して、瞬く間に世界的なムーブメントになりました。リキテンスタインのドットやウォーホルのシルクスクリーンなど印刷複製技術を意識した制作方法によって、抽象表現主義に続く絵画様式となった。

    写真は、リチャード・ハミルトン「一体何が今日の家庭をこれほどに変え魅力あるものにしているのか」1956、アンディ・ウォーホル「マリリン」1967
  • 2024/09/16 00:19
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    【日本のポップアート】              アメリカで爆発したポップアートは、瞬く間に日本を席巻する。日本のポップアートを牽引したのは、横尾忠則(1936〜)、田名網敬一(1936〜2024)、タイガー立石(1941〜1998)。横尾忠則は1980年に「画家宣言」をおこない新表現主義的な画家に転身した。2024年に逝去した田名網は死ぬまでポップアーティストだった。タイガー立石は、漫画家としての顔もある。              写真は、左、横尾忠則「腰巻きお仙」1966 唐十郎の状況劇場ポスター 三島由紀夫は、横尾の絵に、見世物小屋の土俗性とアメリカンポップアートの類縁性を見抜いている。右、タイガー立石、田名網敬一
  • 2024/09/16 01:06
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    【ミニマル・アートとランド・アート】
    1960年代、アメリカに登場。ミニマル・アートは、形態や色彩を最小限(ミニマル)に切り詰め、幾何学的構造や同一単位の反復など還元主義的な傾向を示すアート。音楽のミニマル・ミュージックもフレーズを繰り返す様式。ミニマル・アートは、ロシア構成主義が発端とも云われる。ミニマル・アートは、観客が「何だこれは?」と作品を見回す、観客の参加とその展示空間を前提にしており「演劇性」があると言われます。
    作品と観客、作品と展示空間の二元性を解決しようと生まれたのが、ランド・アート。大地、海など自然に展開するアート。大地そのものをアートにするため、ミニマル・アートの二元性を解消する。

    写真は、左、ドナルド・ジャット「Sem tÍtulo」1968、右、ロバート・ライアン「Concert 1」1986
  • 2024/09/16 01:50
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    【コンセプチュアル・アート】
    ジョセフ・コスース(米・1945〜)は、「芸術の唯一の要求は芸術のためのものである。芸術とは芸術の定義である」と語っています。芸術の自己言及性ですね。コンセプチュアル・アートは、芸術=概念であり、その観念性が重要というわけです。デュシャンが示した便器「泉」の芸術か、芸術ではないか?を祖にしていますね。
    コンセプチュアル・アートを代表する作品に、ジョセフ・コスースの「一つと三つの椅子」1965という作品があります。①実際の折り畳み椅子、②その椅子の原寸大写真、③辞書の椅子の説明文が並んでいる。①は、知覚の対象としての椅子(指示記号)と概念としての折り畳み椅子(概念表象)見たままと概念を生じる②は、指示記号の代用物、③は、概念表象の代用物となり、観客に折り畳み椅子の意味について、現実と観念を行き来させる。
    河原温(かわらおん・日・1932〜2014)ニューヨークに定住していた河原温は、1966年に始まる「TODAY」シリーズで、厳密なルールで均一なキャンバスに、制作の日付だけを描く。絵画形式でありながら、意味を極限まで削ぎ落とした記号を用いた最も早い作品。

    写真は、上、ジョセフ・コスース「一つと三つの椅子」1965、下、河原温「TODAY」1966〜
  • 2024/09/17 21:41
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    【グラフィック・アート】
    1980年代から世界の音楽シーンを席巻したラップミュージック。1970年代NYの黒人のブロック・パーティーから発祥したヒップホップカルチャーは、MC(ラップ・言葉)、DJ(音楽)、ブレイキン(ダンス・身体表現)、グラフィティ(視覚表現)の4っの要素で構成されている。グラフィティは、建造物の外壁や鉄道車両への落書きから始まった。美術史の文脈では、リズミカルな躍動はジャクソン・ポロックに、外壁へのメッセージはメキシコ壁画運動、さらに壁に描くのは先史時代の洞窟画に遡る。代表的アーティストは、キース・ヘリング(米・1958〜1990)エイズで死亡、ジャン=ミッシェル・バスキア(米・1960〜1988)薬物過剰摂取で死亡、バンクシー(英・?)
    バスキアは、グラフィティから新表現主義・ニュー・ペインティングの画家に転身した。

    写真は、左、キース・ヘリングとグラフィティ、右上、バスキアとグラフィティ、右下、バンクシー

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