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サロメの変容 1
ヘロデの饗宴、サロメの踊り、洗礼者ヨハネの斬首、ヨハネの首を持つサロメ…
西洋絵画における「サロメ」のモチーフの変容の歴史を見る
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サークルに参加する- 2025/04/11 11:05ザンクト・ヨハン修道院 スイス
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ヘロデの饗宴 ロマネスク様式のフレスコ画 1160年代以降 左から洗礼者ヨハネの斬首、サロメの踊り(サロメが逆立ち)、ヘロデ王、ヘロディアに首を差し出す - 2025/04/11 11:24ジョット・ディ・ボンドーネ(伊?―1337)「ヘロデの饗宴」フレスコ画 1320 ゴシック美術はゲルマン人の「ゴート」に由来。イタリアのゴシック様式はルネサンスの直前となる。
クリックで拡大 - 2025/04/11 11:29スピネッロ・アレティーノ(伊1350―1410) 「サロメ」1385 祭壇画の一部 洗礼者ヨハネの斬首とヘロデ、ヘロディアに首を差し出すサロメに集約されている
クリックで拡大 - 2025/04/11 11:33ベルナト・マルトレル(ス1390―1452) 「洗礼者ヨハネの斬首とヘロデに首を捧げるサロメ」聖ヨハネの祭壇画 国際ゴシック様式
クリックで拡大 - 2025/04/11 11:42ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(べ1399―1464) 「洗礼者ヨハネの祭壇画」1455頃 北方ルネサンス・初期ネーデルランド絵画 ヤン・ファン・エイクに並ぶ画家
クリックで拡大 - 2025/04/11 12:00ハンス・メ厶リンク(独1430―1494) 「洗礼者ヨハネの斬首」1479 メムリンクはロヒールの工房で修行した、ヤン・ファン・エイクの影響も強い
クリックで拡大 - 2025/04/11 12:21ベノッツォ・ゴッツォリ(伊1420―1497) 「サロメの舞」1462 左から洗礼者ヨハネの斬首、サロメが首をヘロディアに差し出す、サロメの踊り
クリックで拡大 - 2025/04/11 12:32フィリッピーノ・リッピ(伊1457―1504) 「ヘロデの宴またはサロメの踊り」フレスコ画 左に洗礼者ヨハネの首をサロメが受け取る、サロメの踊り、ヨハネの首をヘロディアに差し出す “異時同図”の伝統
クリックで拡大 - 2025/04/11 14:05ベルナト・マルトレル(ス1390―1452) その2「洗礼者ヨハネの斬首とヘロデに首を捧げるサロメ」聖ヨハネの祭壇画 国際ゴシック様式
クリックで拡大 - 2025/04/12 09:41【ルネサンス以前のサロメ】ヘロデ王、王妃ヘロディアと洗礼者ヨハネの関係が主軸で、“異時同図”の場面構成で描かれ、サロメはいまだヘロディアの娘として登場。洗礼者ヨハネの断首が残酷に描かれるのは、ローマカトリックがアルプス以北のケルト人・ゲルマン人を信徒にするため、彼らが信仰していたドルイド教=多神教、輪廻転生、地母神信仰、人身御供(サクリファイス)に近づくため、キリストの磔刑と先立つ洗礼者ヨハネの斬首もまた神に捧げられる人身供犠であり、傷つき血を流す、キリストが、洗礼者ヨハネが、人々に代わって犠牲になったことをあらわす。ゴシック圏(アルプス以北の野蛮なゴート族の文化=ケルト・ゲルマン)にキリスト教を布教するには、「キリストの復活=勝利・栄光」より「キリストの受難=死・苦悩」がケルト・ゲルマンのサクリファイスの供犠に被さり、布教を容易にした。
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写真は、上がビザンチン時代(12世紀)の「全能のキリスト」と「哀悼」(健康で筋肉質)「キリストの復活」を表現。下が国際ゴシック時代(14―15世紀)の「十字架のキリスト」(グリューネヴァルト)と「ボンのピエタ」は、「キリストの受難」を凄惨な表現で強調している。 - 2025/04/12 11:32バルトロメオ・ヴェネト(伊?―1531) 「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」ヴェネトはヴェネツィア派の肖像画家。サロメは微妙な表情、ヴェネツィア派のらしい色彩構成。
クリックで拡大 - 2025/04/12 11:35ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(伊?―1576) 盛期ルネサンスヴェネツィア派の巨匠。鮮やかな色彩。
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