サロメの変容　1

ベルナルディーノ・ルイーニ(伊？―1532) 「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」レオナルド・ダ・ヴィンチと直接仕事をしていたルイーニ、レオナルドの影響を受けた優雅な女性像。盛期ルネサンスになるとヨハネの首とサロメを描く絵画が主流となる。

アルブレヒト・デューラー(独1471―1528) ドイツ・ルネサンスの巨匠。イタリア・ルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチと並び称される。版画を芸術の重要なジャンルに押し上げた功績が大きい。

ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン(オ1475―1533) 「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」イタリア美術の影響を受ける前の最後のネーデルランド画家。

ルーカス・クラナッハ (父)　(独1472―1553)「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」1530年代
若く麗しい女性があどけなく、また同時に艶めかしく、わたしたちに微笑みかける。その表情は、皿に載った髭の濃い男性の切断された頭部とは、まったく不気味な対比をなしている。彼女はその首を、 まるで戦利品かのようにしてこちらに差し出すのである。サロメがかぶる真珠のついた花嫁の冠は、のちに交わされる彼女と叔父ヘロデ・フィリポとの近親結婚、あるいは伝説が語るようなヨハネへの(報われない)愛を、おそらくは、ほのめかしている。

【盛期ルネサンスと北方ルネサンスのサロメ】

美術の中心が建築だったゴシック期、絵画は教会の付属品であり、聖書の物語を絵解きするもので「洗礼者ヨハネの斬首」は、ヘロデの饗宴、サロメの踊り、洗礼者ヨハネの斬首、ヨハネの生首を差出すサロメ、という場面を“異時同図”の連続で表す様式から、ルネサンス期には、純粋な宗教絵画のモチーフとして「若い女・サロメと男・洗礼者ヨハネの生首」として描かれるようになる。そこでのサロメは、母ドロティアの意に従いヨハネの首を運ぶだけで、生首と視線を合わせず、嫌悪している様子に描かれている。

「サロメ＝ファム・ファタルの元になったクラーナハ」
クラーナハは「女のちから」というテーマを重視した。それは、女性の身体的魅力や性的誘惑に男性が屈し、堕落あるいは破滅に陥るという物語の類型(ファム・ファタル)を表す。クラーナハのサロメは「女のちから」に気をつけよと男性に警告する教訓的なメッセージであるが、クラーナハの絵そのものがそれを見つめる私たちを誘惑する。

クラーナハのエロティシズムとは、バタイユのいう『エロティシズムの本質は、性の快楽と禁止との錯綜した結合(禁止と侵犯)のなかに与えられている。』を表している。
また、クラーナハのサロメは、江戸時代の文人大田南畝が詠んだ『世の中は色と酒とが敵（かたき）なり　どうぞ敵にめぐりあいたい』の“かたき”に違いない。

写真は、クラーナハの「エディット」バージョンのサロメ、流行の衣装を着たサロメ、窓からレオナルド風の景色が見える、いいとこ取りのサロメ。

【デューラーとクラーナハ】
ドイツ・ルネサンスの画家、デューラーとクラーナハは、同じ南ドイツに生まれた一つ違いの同年代だが、独立親方で作家性を追求する芸術家デューラーと宮廷画家で商売上手なクラーナハと好対照です。
デューラーは、イタリア・ルネサンスの影響(遊学、ラファエロと交流)とネーデルランド絵画の伝説を融合する独自のスタイルをめざしたニュールンベルグの“独立親方”。デューラーは版画はヨーロッパ中に流布し、版画を芸術のジャンルに高めた功績は大きい。作品にデューラーサインのアナグラムを描き込み、自画像を独立した作品として最初に描くなど、自己主張の強い芸術家である。
一方クラーナハは、ザクセン公に仕える宮廷画家としてヴィッテンベルクに大工房を経営(印刷所や薬局も経営し、市長にもなった)し、登場人物に流行の衣装をまとわせた祭壇画や肖像画、神話や道徳的主題を“建前”に官能的な裸婦像を量産するなど、顧客が何を求めているのかを知る商売上手な絵師である。

写真は、左デューラー、上から「毛皮の自画像」1500「うさぎ」1502「メランコリアⅠ」1514、右クラーナハ、上から「77歳の自画像」「マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラの肖像」1529「正義の寓意」1537

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(伊1571―1610) 「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」1606―09 カラヴァッジョらしい明暗のコントラスト。少女であるはずのサロメがなぜか当時の服装の中年女性として描かれている。ヨハネはカラヴァッジョの自画像らしく、処刑人も自画像ともいわれる。顔をそむける中年女性のサロメには力点が置かれていないようだ。

カラヴァッジョの2点目　「洗礼者ヨハネの斬首」1608 カラヴァッジョの代表作。カラヴァッジョの作品中、最大サイズの361cm✕520cm。世界十大絵画の一枚とも称される。逃亡先のマルタ島で大芸術家として歓迎され、洗礼者ヨハネ騎士団への入団の代金として製作された。処刑人は一刀で首を落とせず、ナイフで首を切り離そうとしている。洗礼者ヨハネ、処刑人、にスポットライト、サロメ、指示する男、老女と右の鉄格子には二人の囚人が覗いている。洗礼者ヨハネの腹部付近にヨハネのアトリビュートであるラクダの毛皮が描かれている。サロメの服装が粗末でヘロデの館の侍女ともいわれる。この絵の完成後、カラヴァッジョはまた傷害事件を起こし、投獄、シチリアへ脱走する。

ピーテル・パウル・ルーベンス(独1577―1640) 「ヘロデ王の饗宴」1635―38 　ヘロデ王の饗宴というルネサンス以前なモチーフを描いている。ルーベンスは、フランドルの画家で外交官でもあった。ミケランジェロとカラヴァッジョの影響がある。大工房を経営し、ヨーロッパ中の貴族、収集家に支持された。

レンブラント・ファン・レイン(オ1606―1669) 「洗礼者ヨハネの頭を受け取るサロメ」1640―46 「夜警」などに比べ明暗のコントラストは強くない。偉そうなサロメは「女のたくらみ」を表しているようだ。

【バロックを切り開いたカラヴァッジョ】
16世紀末、盛期ルネサンス特にミケランジェロの「手法(マニエラ)」を至上とする「マニエリスム」か絵画の主流となっていた。「人工的に自然以上の美を＝理想的・人工的」というミケランジェロの方針が極端に強調され、歪曲されて行く。ローマのマニエリスムの画家のもとで修行したカラヴァッジョは、「あるがままの写実的な絵を＝徹底的写実主義」を目指し、「自然主義的なモチーフ」や「強烈なコントラストを描く手法（テネブリズム）」などを開発・確立した。聖マタイの生涯を描いた三部作1599―1602「聖マタイの召命」「聖マダイの殉教」「聖マタイと天使」によってヨーロッパ中に名声を獲得し、カラヴァッジョの影響を受けた数多くの「カラヴァジェキスト」を誕生させ、ルネサンス美術からバロック美術への道を切り開いた。天才画家カラヴァッジョのもう一つの面は殺人犯カラヴァッジョです。マタイ三部作で名声を獲得した彼は、あちこちで問題を起こし投獄され、1606年、賭博あるいは痴情のもつれで殺人を犯し、死刑宣告を受けます。ローマから逃亡、各地で問題を起こし南イタリアを転々とし、1610年に病死する。
写真左上「カラヴァッジョ」1621 レオニー二作　左下「ゴリアテの首を持つダビデ」1609―10 では、ゴリアテの生首がカラヴァッジョの自画像で、少年ダビデはカラヴァッジョの愛人あるいは若き日の自画像であると言われています。斬首に対する執着は、20代の作品写真右上「メドゥーサの首」1597―98　の顔もカラヴァッジョ自身だと言われています。「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」のヨハネもまた自画像です。写真右下「ホロフェルネスの首を切るユディト」1598―99 では、ユディトのモデルを、カラヴァッジョが殺害したラヌッチオ・トマッソーニの愛人(カラヴァッジョも関係していた)である娼婦フィリデ・メランドローニにする倒錯ぶりです。“首を切られること”は、フロイトの男根切断＝去勢不安を表象し、究極のマゾヒズム(サディズム)、自己破壊の衝動に誘うナルシシズムが露見している。クラーナハのサロメが「女のちから」「女のたくらみ」に対するアンビバレントな反応であるのに対して、カラヴァッジョのサロメは、「エロスとタナトス」という人間存在の根底を垣間みせる。

ジョヴァンニ・バティスタ・ティエボロ(伊1696―1770) 「洗礼者ヨハネの斬首」テンペラ画1732―33　ティエボロはイタリア後期バロックの最後の画家でロココ様式の影響がみられる。

ヨハン・ハインリヒ・ヒュースリー(スイス―英1741―1825) 「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」1780
スイス生まれのドイツ系でイギリスで活躍。「夢魔」1782 など幻想的作風。

ポール・ドラローシュ(仏1797―1586) 「洗礼者ヨハネの首を持つヘロディア」1843 生首を持つのはサロメではなく母親の王妃ヘロディア。ドラローシュは、ジェリコー、ドラクロワと親交をむすんでいた、アカデミーの歴史画家。新古典主義的作風。

ヤン・アダム・クルーゼン(オ1804―1862) 「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」1861生首に白い布がかけられているがかえって存在を露わにし、エキゾチックで無垢な少女として描かれたサロメとの対比が際立つ。新古典主義の巨匠ダヴィッドにも師事した画風。

アンリ・ルニョー(仏1843―71) 「サロメ」オリエントのエキゾチックでエロティックな衣装と容貌。皿には剣がのりヨハネの首はない。ルニョーは「オリエンタリズム」を題材にした。普仏戦争で戦死。

【18世紀から19世紀へ　ロココ―新古典主義】
ルネサンス以前の「洗礼者ヨハネの斬首」は聖書を絵解きする“異時同図”の絵画。ルネサンスでは、「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」＝「若い女と生首」というモチーフになり、バロックではカラヴァッジョの自画像の生首、ナルシシズムとマゾヒズムの表象として深化する。18世紀カトリック教会から王権に権力が移行すると、ロココ様式が主流となり、洗礼者ヨハネの斬首・サロメをモチーフにした絵画はめっきり減る。19世紀、産業革命から資本主義社会へ。美術は、ルネサンスに回帰する新古典主義とロマン主義・オリエンタリズムが流行し、エロティシズムを表象するサロメに関心が移ってゆく。アンリ・ルニョーのサロメは、サロメが持つ皿にヨハネの首は無い。

写真はロマン主義・オリエンタリズムの代表　「アルジェの女たち」ドラクロワ　1834

【19世紀末“魔性の女サロメ”の誕生】

ギュスターヴ・モローが生きた19世紀末は、18世紀イギリスで始まった産業革命がヨーロッパに伝播し、資本主義社会が成立した時代である。「世俗的内禁欲」、「勤勉な労働と蓄財」が社会の規範となり、禁欲、節制、貞淑をスローガンとするヴィクトリアニズムがヨーロッパ中の風潮となる。行き過ぎた禁欲主義は、ボードレールの「悪の華」、フローベールの「ボヴァリー夫人」など、禁欲、節制、貞淑とは対極のテーマの作品がベストセラーとなっている。
過度の禁欲主義は、神経症などの精神疾患の原因にもなっていた。フロイトは、その治療で患者が語る象徴的モチーフから、無意識の概念を論理付けした精神分析が生まれた。
象徴主義も芸術家自身の精神的体験を象徴的に表現する、無意識のような曖昧で神秘的な表現を好み、その背後に隠された意味を読み解くことを重視しており、芸術的な精神分析とも言える。
詩人のマラルメ(1842―98)は、象徴主義のパリにおける中心人物で、主催する勉強「火曜会」には、画家のモネ、ルノワール、ドガ、ゴーガン、ド二、ホイッスラー、詩人のヴェルレーヌ、ヴァレリー、音楽のドビュッシーも参加していた。印象派から象徴主義まで当時の有力な芸術家が集合している。マラルメは、詩劇「エロディヤード(へロディア)―舞台」で、通俗的サロメの表象から、アフロディーテのような美の化身に謳い上げた。絵画では、ロマン主義の巨匠ドラクロワは、「アルジェの女たち」などでオリエンタリズムを称揚し、アンリ・ルニョーの「サロメ」1870　は「オリエンタリズムのサロメ」を強調している。
このような背景で、1876年
ギュスターヴ・モローの「ファム・ファタル」サロメが登場する。

写真は、マラルメの詩「牧神の午後」1865―67 に感動したドビュッシーが作曲した「牧神の午後への前奏曲」1892―94
ディアギレフのバレイ・リュスでニジンスキーが振り付けしたバレイプログラムのレオン・バクストによるイラスト