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サロメの変容 2

2025/04/18 16:18
やまちゃん1
ギュスターヴ・モローによって、「ファム・ファタル」に変身した、ヘロディアの娘サロメ。モローのサロメがファム・ファタルとして世界に広まる様子を見てゆく。

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  • 2025/04/19 02:55
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    ギュスターヴ・モロー 「出現」1876  モローは、この絵に『この女が表すのは永遠の女であり、彼女は、花を手にして、曖昧な、時として恐ろしい観念を追い求めて、しばしば不吉な小鳥のように生を送り、あらゆるものを、天才や聖者までをも、その足元に踏みにじっていく。この踊りが行われ、この神秘的な歩みが止まるのは、絶えず彼女を見つめ魅力的に口を開いた死の前、すなわち剣をうち降ろさんとする刑吏の前である。これは、言いようのない観念や官能や病的な好奇心を求める者に運命づけられた、恐ろしい未来の象徴なのである。』と語っている。サロメ=ファム・ファタル宣言である。
  • 2025/04/19 02:57
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    ギュスターヴ・モロー(仏1826―98) 「ヘロデ王の前で踊るサロメ」1876 ヘロデの饗宴で踊るサロメのアプローチ。いづことも知れぬ、黒豹がいる神殿、花を捧げ王の前に進むサロメ。ピエール=ルイ・マチュー(Pierre-Louis Mathieu)によれば、サロメが持つ花は快楽、クロヒョウは淫蕩を意味する。
  • 2025/04/19 03:44
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    モローのサロメに傾倒した作家のユイスマンス(仏1848―1907)は、『さかしま』1884の主人公デ・ゼッサントにモローのサロメを絶賛させる。『さかしま』に共鳴したオスカー・ワイルド(英1854―1900)は戯曲『サロメ』仏語1893を刊行した。『サロメ』英訳1894の挿絵はビアズリーが描いた。
    [オーブリー・ビアズリー(英1872―1898) 「サロメ」1894]
  • 2025/04/19 03:47
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    ビアズリー2枚目[オーブリー・ビアズリー(英1872―1898) 「サロメ」1894]ワイルドは、『僕の劇はビザンチン的なのに、ビアズリーの挿絵はあまりに日本的だ』との理由で気に入らなかったらしい。
  • 2025/04/19 14:48
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    オディロン・ルドン(仏1840―1916) 「サロメ」1893 ボルドーに生まれパリに出る。建築家を目指しエコール・デ・ボザールを受験するが失敗。1870年普仏戦争に従軍。1882個展を開きユイスマンスに注目される。暗く鬱鬱とした作風から明るい色彩に変化。象徴主義の芸術家と交わったが、孤高の画家という立ち位置。サロメは、明るい色彩の幻想的作品。
  • 2025/04/19 21:33
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    エドヴァルド・ムンク(ノルウェー1863―1944「サロメ:パラフレーズ」1894―98) バラフレーズとは仏語で「致命的」という意味で、ファム・ファタルと同義。「叫び」1893と同時期で、赤=血の画面と『貞子』のような長髪の女がヨハネの首を持ち上げようとする構図。単純ながらインパクトがあります。
  • 2025/04/19 21:40
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    フランツ・フォン・シュトゥック(独1863―1928「サロメ」1906) ミュンヘン分離派創始者の1人。ミュンヘン美術院教授で教え子にパウル・クレー、カンディンスキーがいる。リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』1905に刺激されたのか?以前なのか? もはや、妖婦サロメ。
  • 2025/04/19 21:45
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    グスタフ・クリムト(墺1862―1918)「ユディトⅡ(サロメ)1909」
    ユディトは旧約聖書の物語『ユディトが住むユダヤの町べトリアに、敵のホロフェルネス将軍が侵攻し町は陥落状態にあった。美しく聡明なユディトは敵をあざむき、敵陣に潜り込む。ユディトは酩酊させ寝込んだホロフェルネスの寝首を掻いて持ち帰る』町を救った英雄として描かれています。クリムトのユディトⅡは、英雄然としたユディトⅠに比べ悪女感が強く、識者からサロメではとみなされたが、クリムトはこれを強く否定している… しかし、ユディトは、己の美しさと巧みな話術を自覚し、男を破滅に導いた恐ろしい存在であり、サロメに先立ち、ファム・ファタルの代表格となっています。
  • 2025/04/20 01:28
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    【洗礼者ヨハネの斬首からファム・ファタル=サロメに隠された欲望】

    ビザンチン、ゴシック期から現代に至るまで『サロメ』の変容を見てきたが、サロメの物語は19世紀末のキワモノではなく、ゴシック期から、極めて重要なモチーフだった。

    ゴシック期の「洗礼者ヨハネの斬首」は、残酷で、恐怖と嘔吐感をもたらす供犠としての宗教的プロパガンダ(ローマカトリックの布教)であろう。

    初期ネーデルランド絵画、ルーカス・クラーナハの「サロメ」1530年代は、「女のちから」「女のたくらみ」に対する、警告と誘惑が隠されている。江戸時代の狂歌『世の中に酒と女は敵なりどうぞ敵に巡り合いたい』の世界がある。

    バロック期のカラヴァッジョの「ダヴィデとゴリアテ」1609―10(実テーマはサロメと同じ)ダヴィデに切られたゴリアテの首はカラヴァッジョの自画像、ダヴィデはカラヴァッジョの若い愛人又は若かりし自画像である。
    この絵から、愛する者に首を切られる(去勢恐怖)隠された陶酔(ナルシシズムとマゾヒズム)を表している。カラヴァッジョの自己処罰、自己破壊願望が表れている。

    19世紀末、ギュスターヴ・モローの「出現」1867 は、マラルメの詩「エロディアード(ヘロディア)―舞台」に倣ったか、サロメ=ヘロディア(サロメは無垢な処女として語られているが、母親のヘロディア的なものを無自覚に持っている)と考え、サロメ=ファム・ファタルとして描いた。
    官能的な白い裸身をくねらせながらの踊るサロメ。洗礼者ヨハネがそうであったように、「女という不気味なるもの」を前にして、恐怖と誘惑を感じ、最後には「知のファロス=首」が彼女の手で切断されてしまう瞬間、自分に訪れるはずの激甚な快楽を密かに期待している。それは、意識の上では決して認め難い、無意識の奥底にあるマゾヒスティックな期待であり、不能者と化してしまいたいという期待でもある。そこに、フロイトの精神分析をみることは容易である。


    写真は、左モロー「出現」、右上クラーナハ「サロメ」、右下カラヴァッジョ「ダヴィデとゴリアテ」

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