- 掲示板
後白河院のコレクション
後白河院(1127〜1192)は、平清盛、源頼朝と相対し平安末期から鎌倉幕府成立の一方の当事者であった。優雅な王朝文化に反して、無骨で現実主義の武家気質と同調するメンタリティーがあり、庶民が愛する「今様」と線描でリアルを表現する「絵巻物」の収集、保存、制作に熱中した。源氏物語絵巻に代表される濃彩の絵巻物に対して、線描を重視した説話絵巻をプロデュースした。「年中行事絵巻」「伴大納言絵巻」とともに蓮華王院に納めた「病草紙」と古春画の傑作として名高い「小柴垣草紙」を考察する。
サークルに参加すると投稿することができます
サークルに参加する- 2022/05/09 16:12⚫小柴垣草紙(こしばがきぞうし)その1
クリックで拡大
歴史上の密通事件を描いた古典春画の傑作
伝承としてこの絵巻物は、承安元年(1171年)高倉天皇に嫁いだ平清盛の娘平徳子に対して、彼女の叔母にあたり後白河院の女御だった平滋子が贈ったとする説があり、後白河院の関与が推測される。(春画は嫁入り道具の縁起物、花嫁の性教育本としての役割がある)
現在、原本の存在は確認されておらず、後世数種の写本が制作されている。オリジナルの絵巻物は、詞書の筆者が後白河院または藤原為家、絵師が住吉慶恩または藤原信実とも云われている。
歴史上の密通事件とは、斎宮(さいぐう)のスキャンダルです。斎宮とは天皇の名代として伊勢神宮に奉仕する巫女で、天皇の代替り毎に、未婚の内親王または女王から選ばれます。
平安時代の寛和二年(986)に、斎宮済子(なりこ)女王が、伊勢神宮に向う前に、嵯峨の野宮(ののみや)で斎戒沐浴(さいかいもくよく)していたとき警護の武士平致光(たいらのむねみつ)を誘惑して密通したとの噂が立ち、伊勢行きが取りやめになった。この椿事は、建長四年(1252)に成立した「十訓抄」に記されている。
小柴垣とは、野宮の仮宮が小柴の垣根で囲まれていたことに由来する。
写真は、東京国立博物館所蔵
鎌倉時代の藤原信実画 小柴垣草紙より - 2022/05/09 16:13⚫小柴垣草紙(こしばがきぞうし)その2
クリックで拡大
草紙は全十図からなり、月の夜に済子が縁に腰掛け致光を誘惑する場面から始まり、禁断の逢瀬が濃密な愛欲描写で描かれる。
「その夜月傾き更くる程に、致光小柴垣の下に臥していた所へ、いかなる神の諫めも動じたまえる御心留め難く、遁れ出で給いけん。かうらむのはづれより御足をさしおろして、致光をにくからす御覧じつゝ、思わず顔を踏ませ給ひたるに、致光あきれて見あけたれば、美しき女房の御小袖姿にて、御髪はいと心くるしく、ゆらゆらとこぼれかゝりておわします。御小袖の引合わせ、しどけなきに、白くうつくしきところ、又黒くくさげなるところ、月の光にほのかに見ゆる、心まとひいはんかたなし」
(・・・高欄の端から御足をそっと下ろし、美男の顔をうっとりと眺めながら踏みつけた。驚いて致光が見上げると、淑女の御髪は艶っぽく毀れかかり、御小袖の合わせ目が開けた猥らで艶容な姿がそこにあった。その美しい肉谷は陶器のような白さで肉感は張りがあり、性臭を放つ赤黒い生殖溝は、月の光に照らされながら、仄かに浮かびあがっている。男は感激で心が激しく踊った)
斎宮・済子を「白く美しい身体」と「黒くて臭い陰部」といった「美」と「醜」を対句であらわした、その視点からは女の生暖かさや、雌が発する動物的な匂いさえも漂ってくるようだ。
写真は、ミカエル・フォーニツ・コレクションより 江戸前期の伝住吉具慶画 - 2022/05/09 16:15⚫病草紙(やまいのそうし) その1
クリックで拡大
【いろいろな病気や奇形に関する説話を描いた絵巻の断簡。それぞれの症状は『正法念処経』や『医心方』など、経典や学術書に典拠が求められる。とくに『正法念処経』との関連は六道(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のうち人道における苦悩を表すという解釈を導く。これによって、「地獄草紙」「餓鬼草紙」などとともに、後白河院(一一二七~九二)が絵巻を多く納めた蓮華王院宝蔵の「六道絵」の一部ともみなされている。
ただし、具体的な地名の記述や豊かな風俗描写、何より苦悶や嘲笑など個々人の微妙な感情の動きが見事に活写されることによって、単なる図解に留まらず、人間の滑稽ですらある生々しさにあふれた同時代の説話として構成・表現されていることこそ本作品の大きな魅力である。】
写真は、「眼病の男」
京都国立博物館 国宝
偽医者が白内障の男の眼に針をさして治療している。眼から血がほとばしっている。見ている妻や見物人は、興味本位でながめているようだ。男の眼は潰れてしまったらしい。 - 2022/05/09 16:16⚫病草紙(やまいのそうし) その2
クリックで拡大
【制作当初の規模は不明だが、21図が現存しており、それらの多くはかつて一巻の絵巻物に収録され伝来した。昭和期にこれが断簡となり、現在そのうち9図が京都国立博物館に所蔵されている。段毎の台紙貼装であったが、平成二十八年に完了した修理によって額装から一段毎の巻子装に改められた。各段の画風は、闊達な描線を旨とするものから精密で高度な完成度を誇るものまで幅広く、幾人かの習熟した絵師が分担したらしい。】
後白河院は宮廷絵師で「伴大納言絵巻」の常磐光長もその一人
写真は、「二形(ふたなり)の男」
京都国立博物館 国宝
ある商人の容貌が男にも女にも見える。不思議に思った者たちは、寝入ったところで、そっと着物をまくし上げると、男女両方の性器があった。これを「ふたなり」と称す、と奇妙な両性の者が描かれている。
精緻な線描で描かれた寝込んで無防備な男とそれをみて哄笑する二人の男。残酷とも言える生々しい人間が描かれている。
Googleでログイン